藤圭子はなぜ自殺したのか

自殺した人の原因や理由を推測することは容易なことではありません。藤圭子の場合は遺言書は残されていましたが遺書はありませんでした。自殺した当人でさえ自殺の理由を理解していない場合もあると思います。藤圭子はなぜ自殺したのか。その理由を推測するには、当人が生前話していたことや、家族や知人の話を手がかりにするしかありません。

ここで注意しなければならないことは、藤圭子を「理想化」しては事実から離れるばかりだということです。藤圭子ファンの中には自殺の理由を理想化し、藤圭子がなにか崇高な目的のために自殺したと主張する人がいます。どう推測しようがその人の自由ですが、それには具体的な根拠が必要です。残念なことに、そうした主張には具体的な根拠が示されていません。また自説に都合の悪い事実を無視しています。

この記事ではそのような藤圭子ファンのバイアスがかからない、事実をもとにした藤圭子自殺の原因や理由を考えていきます。

自殺の背景に精神疾患

2013年8月26日に宇多田ヒカルがコメントを発表しています。抜粋して引用します。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

藤圭子の「精神の病」を考える場合、ここでの「妄想」をどう扱うかが重要です。照實氏は身に覚えのないことで理不尽な罵声を浴びせられたといいます。ヒカルは、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、と述べています。

「妄想」と聞けば普通の人は統合失調症を連想します。ですが統合失調症の妄想は「現実と妄想の区別が曖昧」というような曖昧なものではありません。統合失調症の典型的な妄想は「秘密の組織に命を狙われている」といったおよそ現実にはありえないような内容です。それに対して現実との区別が曖昧という妄想は、境界性パーソナリティ障害らしい妄想といえます。

境界性パーソナリティ障害では親密な関係にある人との間で症状が起きます。藤圭子は別居していましたが、照實氏、ヒカルと連絡をとっていました。藤圭子はそうした状況の中で、ずっと昔にあった嫌な出来事が時々フラッシュバックのように思い出され、それと同時に様々なつらい感情も沸き起こり、前後の説明抜きで照實氏やヒカルに電話でその感情をぶつけるので、言われた方はなぜ非難されるのか理解できなかったのだと思います。

藤圭子が精神疾患を患っていたことは多くの知人らの話から明らかです。藤圭子の精神疾患は高機能型の境界性パーソナリティ障害の可能性が高いということは別の投稿で明らかにしたとおりです。その発症は沢木耕太郎から裏切られた1980年か、遅くとも母親から裏切られた1988年と考えられることも別の投稿で明記しています。

境界性パーソナリティ障害では、衝動的で感情が不安定という症状があります。こうした症状が家族など特に親密な人との間で起きたと考えられます。衝動的で感情が不安定であると、自己のアイデンティティーが不確かになります。これが自分だという感覚、どのような状況でも自分は自分であるといった感覚が持てなくなります。宇多田ヒカルのデビュー後、藤圭子を「封印」せざるを得なかった藤圭子は、歌手としてのアイデンティティー失いました。確たるアイデンティティーを失うと、境界性パーソナリティ障害に特徴的な空虚感も強く感じていたものと思われます。

芸能界から完全に断絶した晩年の藤圭子は孤独になります。感情のコントロールが効かず、アイデンティティーを失い、生きていても仕方がないといった空虚感などの境界性パーソナリティ障害の症状は、晩年になるほど強くなったのでしょう。

境界性パーソナリティ障害では長期の経過のうちに8〜10%が自殺を完遂するとされています。若いときは大量服薬などの自殺未遂が多いですが、高齢になるほど確実に死ねる方法を選び、自殺率が高くなるといいます。

藤圭子の自殺には境界性パーソナリティ障害を患っていたことが影響していると考えられます。そのうえで注意しておきたいのは、症状が起きていないときは普通の人と変わらないということです。理性的に考え行動することができます。そのために症状が起きていたときにとった理不尽な言動について強い自己嫌悪に陥るという面があります。

ギャンブル依存による経済的困窮

藤圭子は2006年にケネディ国際空港でギャンブルに使うために持参していた49万ドルもの現金を没収されています。藤圭子は自分一人でカジノに行くと、有り金全部使い切ってしまうので、掛け金を使いすぎないようにするために元マネージャーの男性と一緒に世界中のカジノを訪れています。

使うお金を自分で制限できないのはギャンブル依存の特徴です。藤圭子は若いときから賭け麻雀に熱中していました。1回の掛け金も50〜60万円というとんでもないレートだったと、一緒に賭け麻雀をした知人が話しています。しかも現金払いじゃないと怒って、いつでもまとまった現金を持っていたといいます。

宇多田ヒカルが莫大なお金を稼ぐようになると、事務所の副社長だった藤圭子は毎年1億円を超える収入を得るようになります。藤圭子はギャンブル依存で世界中のカジノを舞台にして大金をバンバン賭ける様になり、収入のほとんどをギャンブルで溶かすようになります。

そうした行動がいつまでも続けられるはずがありません。藤圭子は2005年に事務所の副社長を辞任しています。2007年に照實氏と離婚した際にある程度まとまったお金を手に入れ、2009年には米国当局に押収されていた49万ドルを返還されていますが、ギャンブル依存によりそれらの大金もあっという間に失ったと考えられます。

収入源を失った晩年の藤圭子は経済的困窮状態に陥ります。2013年8月26日のNEWSポストセブンから抜粋して引用します。

「彼女の金遣いの荒さは業界でも有名。海外ではカジノ三昧だし、東京・新宿のホストクラブでは目が飛び出る額の高級シャンパンやワインをどんどん開けていたという噂も聞いた。近年はロスに借りていた超高級マンションの家賃の振り込みも滞ることがあり、東京に戻ってきていたらしい。ある知人には “今はもう2000万円くらいしか持っていない” と話していたようだ。カネが尽きるのは時間の問題だった」(藤を知る音楽関係者)

週刊朝日 2013年9月6日号から抜粋して引用します。

芸能関係者によると、藤が港区内に所有していた未居住のマンションを近々売却する予定で交渉を進めていたといい、金策が必要な状況だったのかもしれない。

一般的な人にとって2,000万円は大金ですが、桁外れな金額をギャンブルなどに使っていた藤圭子にとっては、少額だったのでしょう。事務所の副社長を辞任して収入が激減したであろう藤圭子にとって、経済的困窮は自殺に何らかの影響を与えた可能性があります。

自殺の引き金となった石坂まさをの死

藤圭子育ての親である石坂まさをは2013年3月9日に亡くなっています。その後に石坂まさをを偲ぶ会の開催日が決められたと考えられます。その情報は知人を介して藤圭子に伝えられたのでしょう。2013年9月4日のアサ芸プラスに、藤圭子復帰時に音楽プロデユーサーを務めた酒井政利は、藤圭子と共通の知人を介して、藤圭子が8月23日に行われる石坂まさをを偲ぶ会に出席すると聞いていたと話しています。

宇多田ヒカルは藤圭子が亡くなったことについてのコメントで、「今年のはじめに書かれた遺言書があった」と述べています。この ”今年のはじめ” が具体的にいつなのか明らかではありませんが、3月に書かれた可能性があります。そうであれば8月22日に自殺することにそなえて遺言書を書いていたとも考えられます。つまり藤圭子の自殺は衝動的ではなく、事前に決めていた覚悟の自殺といえます。

ヒカルのコメントによれば遺言書には、葬儀を行わず直葬にすること、墓に埋葬するのではなく、海へ散骨すること、と書かれていたことになります。いかにも藤圭子らしい遺言です。

1981年に藤圭子と会話を交わした芸能記者の本田圭氏が藤圭子について ”芸能界への恨みつらみを延々語り… 当時から、藤さんは芸能界というもの自体に怨念を持っていたのかもしれない” と評したように自分の葬儀に芸能界の人たちが集まることをとても嫌っていたのでしょう。藤圭子は1997年10月に発売した「男と女」を作詞しているのですが、その3番の歌詞は、自分が亡くなったら海へ散骨することを示唆する内容となっています。

先日の記事でも指摘しましたが、晩年の藤圭子は石坂まさをを強く憎んでいます。この事自体は藤圭子が患っていたと考えられる境界性パーソナリティ障害の症状のためだと思いますが、その場合に偲ぶ会の石坂まさをに「抗議の自殺」を決行するということは、境界性パーソナリティ障害を患っていたとすれば十分あり得ることです。藤圭子を理想化したい人にとっては身も蓋もないことでしょうが。

石坂まさをを偲ぶ会の主賓は藤圭子本人だったはずです。その当人が石坂まさをを偲ぶ会の前日に自殺したので、偲ぶ会はなんともいえない雰囲気になったと思います。偲ぶ会の当日ではなく、前日の朝7時頃に自殺を決行したのは、偲ぶ会の出席者のほぼ全員が藤圭子の自殺を知っている状況にしたいと藤圭子が考えたためでしょう。

藤圭子はマンション前の幅5メートルほどの歩道を越えて車道に落下しました。当時、目が悪くなっていた藤圭子は眼下の歩道を歩く人が見えなかったため、マンションのベランダに立ち、歩行者を巻き込まないように力いっぱい蹴って飛び降りています。飛び降りた際に脱げた片方のスリッパがマンションのベランダに残されました。

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藤圭子は境界性パーソナリティ障害による慢性的な生きづらさを感じていたと思います。境界性パーソナリティ障害は一人で生きていくことがつらい精神疾患です。ですが親密な関係の他者との間では感情の不安定さが惹起され、親密な他者の方も甚だしくつらい状況に置かれることになるのが一般的です。ですから照實氏やヒカルが藤圭子と一緒に暮らせなかったことは止むを得ないことだったのでしょう。

藤圭子は境界性パーソナリティ障害による慢性的な生きづらさを背景として、そのうえに経済的困窮状態に追い込まれました。そうした厳しい状況で石坂まさをを偲ぶ会の知らせが来たのでしょう。そのことで石坂まさをへの抗議の自殺を決意したのだと思います。

週刊現代 2013年9月7日号が、自殺の2週間ほど前の藤圭子の行動を報じています。

実は藤さんは自殺する2周間ほど前、ある女性のもとを訪れている。瞽女として、目が不自由な母・澄子さんが三味線を弾きながら全国を旅していたのに付き添っていた女性で、藤さんにとっても幼少の頃から面倒を見てもらった人物である。

すでに澄子さんは10年に亡くなっており、藤さんは彼女を母親の代わりのように感じていたのかもしれない。その彼女のもとを久しぶりに訪れた藤さんは、表面上こそ元気だったものの、一方的にあれこれと話すだけで、会話らしい会話をせぬまま去ったという。

藤圭子は何十年ぶりに会ったというのに、一方的に話すだけ話して去ったといいます。この対面は自殺する覚悟を決めていた藤圭子が、最後の別れを告げるためだった可能性があります。

藤圭子の自殺について誰かに責任があるとはいえません。藤圭子が照實氏と結婚し、ヒカルが生まれ、大歌手となったことは藤圭子が望んだ夢が実現したことになります。ですがそのことで自らの歌手活動を封印せざるを得なかったことは、藤圭子にとっては想定外のことだったのでしょう。

藤圭子は長年の夢を実現することと引き換えに精神的に不安定となりました。夢を実現した藤圭子は自殺することで長年の精神疾患の苦しみから解放されたといえます。

藤圭子の一生を俯瞰してみると、不完全燃焼に終わった歌手活動や精神疾患を患った事も含めて、歌手・宇多田ヒカルを世に送り出すための人生だったと思えてきます。