デビュー後から約1年間は薄給で借金生活だった藤圭子

藤圭子の収入は歩合制ではなく月給制でした。大下英治著「悲しき歌姫」によれば、デビュー当初は2万円、翌年3月からは5万円、6月からは8万円、11月には50万円と昇給していったとあります。50万円は別として、それまでの藤圭子の月給は圧倒的な人気に見合わない少額だったことが分かります。

当時の週刊誌などでは、藤圭子の月給の少なさを指摘した記事がいくつもあります。1970年4月発行の週刊新潮から抜粋して引用します。記事のタイトルは「売上No.1の新人歌手 藤圭子一家の悲惨などん底生活」です。


だが、彼女の生活ぶりは、まだまだ出世街道の華やかさには程遠い。

彼女はいま、新宿・厚生年金会館の裏手、4畳半ひと間の古ぼけたアパートで一人暮らしをしている。実はこのアパートが、彼女の育ての親である沢ノ井竜二氏の所有であって、彼女はここで居候を決め込んでいる形なのだ。

何の奇もないシングルベッドが、新品というだけで、この部屋では異彩を放ってみえる。最近、地方のテレビ局に出たとき、番組の中のオークションで売れ残ったものを、1万円で譲ってもらって来たのだ。これでようやくセンベイ布団からは解放された。

ベッドの上には、ヨレヨレになったクマのヌイグルミが大事そうに置いてある。彼女は今でも毎晩これを抱いて寝る。

ベッドを除けば、小さな鏡台と洋服ダンスが家財道具のすべて。アクセサリーは、ファンから贈られた千羽鶴と人形が2つ3つ。テンプターズのコースターやパネルが目立つのは、彼女が意外にもショーケンこと荻原健一のファンだから。

給料は、当初3万円だったものが、最近ようやく5万円に昇給した。

使い道などはまだ聞くだけヤボだ。

「ほとんど衣装で消えちゃうんです。洋裁学校に通っている仲よしに頼んで安く仕立ててもらうんですけど、それでも舞台衣装ともなれば、4万円はかかるでしょう。やっと4着できて、取っかえ引っかえ着てるんですけど、それだけで大赤字ですから、あとは前借前借のやりくりで切り抜けているの」

最近いくらかでも印税が入り始め、借金のふえ方の止まったのが、いわば画期的な出来事なのだ。


1970年4月時点での給料5万円は、現在の価値に換算して大卒初任給くらいです。同年2月に発売した「女のブルース」がオリコン1位を達成して大ヒットしているにしては月給が少なすぎる状態です。

クマのぬいぐるみを抱いて寝るとありますが、2010年頃、59歳頃に、ゴリラのヌイグルミをリュックに入れて外出したときの写真が、藤圭子の死後に照實氏のツィートで公開されています。照實氏によれば、ゴリラのぬいぐるみが一番のお気に入りで、いつも一緒だったそうです。60歳前後になってもぬいぐるみを手放せないのは、精神疾患からくる不安感をぬいぐるみによって軽減しようとしたのかもしれません。

1970年6月発行の週刊サンケイから抜粋して引用します。記事のタイトルは「連続ヒットで月1千万円稼ぐ歌手が月給僅か5万円では…」です。


ウワサでは月に1千万円は稼いでいるのでは、といわれる歌手・藤圭子。あまり働きすぎてノドを痛め、5月中は医者通い。

稼ぎまくって、スポーツカーを乗り回し、藤御殿でも建てて両親と豪勢な生活−−と思いきや、彼女の両親は、盲目の母が三味線をひき、父親がその手をひいて民謡を歌って、夜の盛り場を流している。

「おかげで、彼女の稼ぎは、月に180万円はあります」

とニッコリするのは、藤圭子をかかえるKK藤プロの専務で、彼女のマネージャーでもある沢ノ井竜二氏。

しかし、消息通にいわせれば「とんでもない、彼女はいまやワンステージ30万円。その他、テレビ出演やレコードの印税を計算すれば、1ヶ月に1千万円は軽く稼いでいるよ」となる。

180万円と1千万円では、かなり違う。その差額の疑問はとにかく、笑いがとまらないほどヒットしていることには間違いない。それなのに、どうして彼女は両親を養えないのか。

マネージャー・沢ノ井氏は、「藤圭子が月に1千万円稼ぐって? とんでもない、ほんとに180万円ぐらいですよ。これまでに運転手付きの車やら、マネージャー3人、事務所の人件費などを含め、月に300万円、彼女にかけてきたんですよ」

つまり、これまで金を注ぎ込んできたから、1千万円稼いでも、純益は180万円にしかならないということか?

「藤圭子の給料は、実際には5万円しか払っていませんが、化粧品や衣装代などで計20万円はかかっています。住まいは私の家に同居で飲食を共にしている状態で、とても両親のめんどうをみるわけにはいきません」

という事情らしい。それにしても月1千万円であろうと、180万円であろうと、それだけ稼ぎながら月給5万円とは芸能界とは不可解なところである。


デビュー当初はかなり安い月給でしたが、紅白出場を果たした実績によって月給が大幅に増えました。1975年に事務所を藤プロから新栄プロに移籍したときの月給は200万円でした。通常、事務所を移籍すると月給は上がるものですが、新栄プロに移籍したときは200万円のままで変わりませんでした。つまり、藤プロでの藤圭子の月給はデビュー当初は別として、十分高給だったことになります。