「私って、コード人間なんです」

週刊朝日1993年7月9日号に藤圭子を取材した記事が掲載されています。当時、藤圭子はヒカルや照實氏とともに2年間の米国滞在から日本に帰国した後でした。同記事から引用します。

「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットしたのは今から23年前。大阪万博の年。18歳だった。

「あの頃はいくら騒がれても他人事でしたね。ですから、それからの十数年間は、まるで夢の中」

夢から覚めたのは、体調を崩して歌えなくなったときだ。いままでならひと息で歌えたものが、ふた息でもつらい。

「子供の頃から歌が好きと思ったことは一度もなかったんです。物心ついたときから親に連れられて、否応なく歌っていたから。歌えなくなって、初めて私は歌が好きだったと気がついたんです」

「体調を崩して歌えなくなったとき」というのは1988年に絶縁していた父親から母親が以前ギャラを着服していたこと、目が見えていたことを聞かされたときのことだと思われます。そのことで藤圭子は精神的にひどく不安定となり、母親らによって精神科病棟に強制入院させられています。

退院はしたものの、精神的に消耗がひどく、歌も満足に歌えなくなったのでしょう。そうした危機的状況を救ったのがヒカルの存在です。藤圭子はヒカルを世界に通用する歌手に育てることに生きる意味を見出したのです。
 

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その間に結婚、離婚も経験した。新しい伴侶を得て2年間ほどアメリカ生活を送って、昨年からまた活動を始めた。

「今の体調は万全です。だから歌えることが嬉しくて、嬉しくて」

7月にロック系のアルバム「スタア」を出す。すべて自作の曲と詞だ。

「私って、コード人間なんです。好きなコード、気持ちのいいコードをつなぎ合わせているうちにメロディーが浮かぶ。それを聞いて場面設定すると、自然にストーリーと詞が生まれるんです。気持ちよく生きていこうよって」

もう演歌は歌わない?

「いいえ、藤圭子の名前で歌う以上、ファンを裏切れませんから、これまでのものも歌います。そのなかで私の好きなもの、新しい藤圭子も少しお聴きくださいと」

アルバム「STAR」には10曲が収録されていますが、そのうち6曲は藤圭子の作曲です。他の4曲は照實氏と作曲を共同で行っています。9曲の作詞を行い、他の1曲はヒカルとの共作です。アルバム「STAR」は藤圭子の意向が強く表れた作品です。

「新しい藤圭子」というのはアルバム「STAR」で制作した楽曲のことを指しているのでしょう。ヒカル、照實氏とともに音楽に取り組んでいた1990年代は藤圭子にとって精神的に比較的安定した時代だったようです。ヒカルがデビューするまでは。