藤圭子の特質が最も活かされた「刃傷松の廊下」の歌唱

「刃傷松の廊下」は1961年にキングレコードの真山一郎が歌い大ヒットした歌謡浪曲です。歌謡浪曲というのは浪曲と歌謡曲が合体したもので洋楽器の伴奏で歌い、合間にセリフが入ります。真山一郎は歌謡浪曲の第一人者でした。

藤圭子は「流星ひとつ」で10歳から歌い始めて5曲目に得意となった歌ですごくいい歌と話しています。

藤圭子がどう「刃傷松の廊下」を歌ったのかを知るには、同じ曲を歌っている他の歌手の歌唱と比較するのが一番です。藤圭子歌だけを聴いたのでは、どうしてもファン心理が働いてしまい、裏付けのない評価になってしまいがちです。その点、他の歌手との比較であれば、より客観的な比較が可能となります。

今回はステージ音源ですが、島津亜矢と比較してみましょう。島津亜矢のステージ音源には2つあるのですが、2014年にUpされた音源を対象とすることにします。


【刃傷松の廊下】 島津亜矢

島津亜矢の歌唱は全体的に力強く歌っています。ですがセリフの部分でがっくりとします。島津亜矢はオリジナルの真山真一郎の歌唱を聴いたことがあるのでしょうか。歌舞伎で見栄をきったときの発声に似ています。聴いているファンもそのつもりのようです。


藤圭子 刃傷松の廊下

両方を比較してみて一番違うのはセリフの部分です。藤圭子は真山一郎と同じように語っていますが、島津亜矢はセリフに切迫感が全く感じられません。刃傷沙汰が起きて皆に集まるように呼びかける必死のセリフが、島津亜矢ではまるでゆっくりで、堂々と語ることに主眼が置かれているようです。

ここはそんなに悠長なことをしていい場面ではありません。2回めのセリフでは早口で話していますが、最後の部分で歌舞伎で見栄を切るような発声をしており、お客さんは喜んでいますが切迫するこの曲に合っていません。

これに対して藤圭子のセリフはほぼ完璧の出来と言えるでしょう。それには両親が浪曲師で幼い頃から浪曲を聴いて育った藤圭子ならではのセリフのうまさが反映されているように思います。藤圭子はセリフを声色で語っています。男性の声に近い声色を使っているのです。これもこの曲の迫真性を感じさせることにつながっています。

島津亜矢では低音の地声が男性の声に近いのでそのままでいいのですが、セリフに切迫感がないので声の良さが活かせていません。

藤圭子の声には暗い響きがあり、悲劇であるこの曲に暗い声はよく合っています。藤圭子の暗い声が、曲全体を通して悲劇としての「刃傷松の廊下」を表現することに貢献しています。島津亜矢の声は明るい声であり、この曲には向いていません。

藤圭子は1音1音区切るように発声しており、こうした歌唱が全体を通して武士社会の厳しさ、事態の緊迫感をひしひしと感じさせますが、島津亜矢の歌唱にはそれがあまり感じられません。

サビの部分は1番は ♪大役ぞ 2番は ♪意気地あり 3番は ♪これまでか ですが、藤圭子はこのサビの部分をシャウトに近い大声でぶつけるように表現しています。2番ではその後の ♪刃におよぶ も大声で歌っています。特に3番の ♪これまでか は完全なシャウトになっています。これに対して島津亜矢ではサビの部分で大きな声で歌っていますが、シャウトに近いとまでは言えません。

藤圭子は、赤穂の御家断絶となる浅野内匠頭の無念さを圧倒的なシャウトで強烈に表現しています。

藤圭子の歌うパワーが尋常でない強さであることが分かる歌唱です。ただ単に大声を出しているだけでなく、緊迫した場面にふさわしい発声を行っています。この歌でのパワーを発揮したシャウトやシャウトに近い歌唱が、聴く人にただならぬ事態の重大性を伝え、強い印象を与えています。

藤圭子の歌唱で、武士の厳しさが感じられる要因には、ここぞというところで大きなビブラートをかけていることも寄与しています。具体的には2番の ♪武士には武士の という〈の〉の部分の大きなビブラートが事態の緊迫感と浅野内匠頭の凛とした覚悟を効果的に表現しています。

これ以外にも各所で語尾に大きなビブラートかけることによって、武士社会の厳しさを表現することに役立っており、曲全体に緊張感を生み出しています。島津亜矢もビブラートはありますが余り目立つものではありません。また藤圭子は、この曲で巻き舌を多く使って表現力を高めていますが、島津亜矢に巻き舌はありません。

曲全体を通して島津亜矢の歌唱には武士社会の厳しさが感じられませんが、藤圭子の歌唱にはそれが如実に感じられます。この違いはこれまでに挙げた両者の歌唱の違いに由来するものです。

両者を聴いてみて、藤圭子の歌唱には気品と高潔さがあり、歌謡浪曲を歌うという強い意気込みが感じられますが、島津亜矢の歌唱にはそれが感じられず、単にセリフの入った歌謡曲を歌っているといった感じです。

「刃傷松の廊下」では藤圭子の暗い響きのある声が、悲劇的な曲とよくマッチし、パワーのある声量も活かすことができています。「刃傷松の廊下」は藤圭子の暗い声とパワーのある声の特徴が最も活かされた曲のひとつだということができます。