藤圭子は学生層をはじめとしてなぜ民衆に支持されたのか

藤圭子は学生層をはじめとして労働者層や主婦層など幅広い世代から支持を受けました。藤圭子はなぜ支持されるようになったのでしょうか。可憐な外観と声のギャップやアイドル人気などといった説明がありますが、ここでは違う観点から見ることにします。

当時の学生は、日大の20億円の使途不明金問題をきっかけとした日大闘争をはじめとして、1968年のピーク時には全国大学の8割に当たる165校が紛争状態に入り,その半数の70校でバリケード封鎖が行われました。

学生闘争は、学生が会社員として唯々諾々として企業に就職する現状に対して、企業に役立つための教育に反対し、純粋な大学教育のあり方へと、問題を根本的に問うものに変化していきました。その闘争は大学教育への異議申し立ての性格を帯びるようになります。

一方で、高度経済成長に浮かれていた状況で、藤圭子の出現は異質な存在として認識されました。経済成長真っ只中で豊かになった民衆は、藤圭子にかつての豊かとは言えない時代を見たのです。貧しさの中から出現した藤圭子は高度経済成長を謳歌していた社会状況に対するアンチテーゼとなり、現状を否定するものと受け止められるようになりました。

ここで学生闘争の学生と藤圭子の出現は現状に対する異議申し立てという点において、一致を見ることになったのです。学生層が藤圭子を支持した背景には、こうした学生層による藤圭子への『シンパシー』があったからだと言えるでしょう。

藤圭子がデビューした当時は、地方の貧しい生活で進学できなかった中卒や高卒の人たちが集団就職で大量に都市部へ移動し、就職した時代でした。故郷を離れて都市部の企業で悪条件の中でつらい労働に明け暮れていたこうした労働者層は、貧しい出自の藤圭子に自らの出自を投影し、『共感』したのでしょう。

高度経済成長を謳歌していた1960年代後半は、人々の暮らしが急速に豊かになった時代です。GNPが世界第2位になったのは1968年です。そうした中でかつての豊かとは言えなかった日本を象徴するかのような藤圭子の出現は、当時の明るい希望に満ちた時代の中では忘れられていた存在が蘇ってきたようなものでした。不幸を一身に背負ったような藤圭子に『同情』した主婦層などが、かつての苦しかった時代の経験から藤圭子を支持したと言えるでしょう。

藤圭子の出現は、その時代状況と偶然一致し、その存在が最大限の輝きを放つ絶妙のタイミングだったといえるでしょう。