石坂まさをと藤圭子の奇妙な師弟関係

藤圭子は1968年の秋頃に石坂まさをと知り合い、住み込みでレッスンを受けるようになります。「流星ひとつ」で藤圭子は初めて石坂まさをと出会ったときの印象を、自分に似ていると話しています。石坂まさをの、世の中の辛酸をなめ尽くしたその雰囲気が自分と似ていると感じたのかもしれません。

石坂まさをと藤圭子は師弟関係を結んだことになりますが、1960年代後半の頃の師弟関係は今よりも厳しかったと思います。師匠によって違うと思いますが、日常の所作や歌のレッスンでまずいところがあると、鉄拳が飛んでくるといったことも珍しくなかったでしょう。それでも指導を受ける歌手はじっと耐え忍ぶことが当時では当たり前だったと思います。

ところが石坂まさをと藤圭子の師弟関係はまるで違っていました。藤圭子は耐え忍ぶどころがしばしば反抗したのです。ふたりの年齢差が10歳と近かったためということがあるかもしれませんが、それにしても普通の師弟関係からは程遠い関係にありました。

藤圭子がデビュー前のことです。「悲しき歌姫」から引用します。

龍二は、純子を連れて新宿の街を歩いていた。まだ、春には間があった。風がホコリを逆立てている。
「純ちゃん、手相観てもらおうか」
「あっ、おもしろい、おもしろい」
手相見は、純子の手相を見るなり、断言した。
「この子は、太陽線が伸びていませんね」
太陽線は、別名出世線ともいう。龍二は、なぜか急に腹立だしくなった。
「純ちゃん、駄目じゃないか。手相なんか、変えてしまえ! 血液型も変えろ!」
純子は、口をとがらせた。
「そんなあ……。無理ですよう」
龍二は、力の限り、純子の左頬をぶった。理不尽極まりないことはわかっていた。しかし、龍二に何かが憑いていた。そんな馬鹿なこと、と誰でも呆れるだろう、
 (中略)
案の定、純子は、キッと龍二の目を睨んだ。白目の部分が、凄惨な殺気を孕んでいた。
「なんだ、その眼は」
「フンッ……」
そういったきり、プイッと走り去ってしまった。

到底無理な要求ですが、藤圭子は師匠である石坂まさをに反抗しています。理由はどうあれ、師匠に弟子が反抗するなど、あり得ない時代の話です。

石坂まさをは、藤圭子がRCAからデビューすることになる直前にも理不尽な理由で藤圭子を殴っています。藤圭子と石坂まさを、RCAの榎本襄氏が3人で藤圭子の誕生会を行おうとした時、藤圭子と榎本襄氏の誕生日の月日が同じことが分かります。この時、藤圭子をコロムビア デノンからデビューさせることが半ば決まっていました。その時のことを「宇多田ヒカル母娘物語」から引用します。

そして、その宴の終わり頃、僕は純ちゃんに、さり気なく聞いてみた。
「純ちゃん、デノンとRCAとどちらからデビューしたいの」
と、すかさず純ちゃんは、
「デノンよ」
と答えた。
その時僕の右手が純ちゃんの左頬を張り倒していたのだ。これには僕のほうが驚いてしまった。自分の最低さに愛想が尽きたが、片方では真実の声だと思った。


石坂まさをが真実の声だと思ったのは、RCAの榎本襄氏が熱心に言ってくるので、RCAでデビューさせたいと考えたからでしょう。

石坂まさをに連れられてレコード会社のディレクターやテレビ会社のプロデューサーに売り込みに行ったときには、打って変わって藤圭子は石坂まさをに絶対服従でした。当時の石坂まさをの売り込みを見ていた榎本襄は、石坂まさをに連れ回される藤圭子は ”猿回しの猿” のように映ったといいます。

藤圭子のデビュー後に石坂まさをが話しています。

彼女をぼくの手もとに引きとってからデビューするまで、ずいぶんとシゴいたもんだ。
ぼくはいささか女をバカにする傾向があるんで、曲のことで意見がぶつかったりすると、ついぶんなぐっちゃうんだな。彼女はワンワン泣きながら出て行っちゃう。でも、朝になってみるとちゃんと帰って寝ているんだな。オレも変わっているけど、彼女もそうとうなもんだよ。

師匠と弟子との間で曲のことで意見がぶつかることなど、普通の師弟関係ではあり得ないことでしょう。それが石坂まさをと藤圭子ではたびたびあったといいます。

藤圭子はその著書「藤圭子物語」で次のように書いています。

沢の井先生は気狂いになったみたいに私をシゴいていきました。
しょっちゅう意見の衝突があり、ケンカもしました。二人とも怒りっぽいので、すぐに売り言葉に買い言葉とでもいうのでしょう。「表へ出ろ」「出るわよ」というわけで、あわや取っ組み合いのケンカになることもしばしば。

これでは普通の師弟関係とは言えません。どうしてこういったことになるかといえば、初代林家三平師匠夫人の海老名香葉子さんが言うように、藤圭子は石坂まさをと対等な関係になりたいと考えていたからでしょう。

それだけ普通の師弟関係を超えて、互いに喧嘩できるほどの仲となり、藤圭子は石坂まさをと親密な関係にあったといえます。これが後年になって、藤圭子が「この世で一番憎んでいるのは母親と石坂まさを」というようになる伏線になったと思います。なぜなら、阿部純子育ての親は竹山澄子さんですが、藤圭子育ての親は石坂まさをだからです。