藤圭子はなぜヒカルと別居したのか

藤圭子は2002年にヒカルと別居状態となります。この記事では藤圭子がヒカルと別居することになった経緯を取り上げます。

ヒカルとの別居に至った原因

デビューしたヒカルの事務所の副社長だった藤圭子には年間1億円超のお金が入るようになりました。しばらくはギャンブルは目立ちませんでしたが、2002年になって世界中のカジノで5年で5億も使うほどギャンブルにのめり込むことになります。

この2002年当時、藤圭子と照實氏はヒカルのプロデュース方針をめぐってしばしば対立することがあったと見られます。このことと関連する出来事を2013年8月29日の芸能ニュースが報じています。

「2002年ごろ、宇多田のコンサートを開く権利を無断で藤さんが第三者に売ろうとしたんです。それがきっかけで2人の確執が生まれてしまったようです」(女性誌記者)

藤圭子にしてみればヒカルのためにという思いで行おうとしたことなのでしょうが、現実にはヒカルにとって不利益となることだったのでしょう。

藤圭子が照實氏やヒカルと別れることになったきっかけと考えられる出来事を、芸能関係者の話として2006年11月2日の女性セブンが報じています。

「娘のヒカルが4年前(2002年)に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所の役員を外れてほしいと家族に迫られたそうなんです。結局、役員は外れなかったそうですが、“家族からそんなこと言われると思わなかった。それから人間が信じられなくなった”といっていました」

照實氏とヒカルから事務所の副社長を退任してほしいと言われたことは、藤圭子にとって決定的なダメージを受ける出来事であったのでしょう。

ヒカルを歌手にしようと十数年に渡って一所懸命になってやってきたのに、自分の一番身近で信頼すべき家族から退任してほしいと言われたことで、すべてが信用できなくなったのだと思います。

これは藤圭子が患っていたと考えられる境界性パーソナリティ障害の特徴である全てか無か、白か黒かの二極思考のためでしょう。

こういったことから照實氏とヒカルから事務所の役員を退任してほしいと言われたことが、藤圭子がヒカルと別居するようになった原因と考えられます。照實氏とは2000年の離婚騒動以来、別居状態となっていました。

家族が信用できないのですから、ましてや他人が関わっている銀行は藤圭子にとってはもっと信用できないということになります。人間不信になった藤圭子は一般の人からは奇妙と思われる行動をとります。

2013年8月29日のNEWポストセブンから引用します。

「藤さんは人間不信から銀行も信用できず、普段からキティちゃんのバッグに札束をいくつも入れて持ち歩いていたんです」(スポーツ紙記者)

藤圭子がヒカルと別居するようになった原因について、しばしば精神的に不安定になる藤圭子にたまりかねたヒカルから ”出ていって” と言われたからという言説がありますが、これは違うと思います。

藤圭子は照實氏と同居していた時に何度も夫婦喧嘩になり、そのために家を飛び出したことがあった、というのが真相でしょう。

2013年08月24日の東スポWebは、藤圭子がホテル住まいをしていたと伝えています。

ホテル業界に詳しい人物によると「6年ほど前(2007年)までは港区のホテル『X』の1泊数十万円もするスイートルームに住んでいました。ここには宇多田ヒカルさんも別の部屋を借りて、創作活動をしていました」。

藤さんは「X」だけでなく、目黒区にある高級ホテル「Y」にも部屋をキープしていた。ここには宇多田も夫の照實氏も住んでいたという。

藤圭子は、2007年頃から新宿のマンションで若い男性と暮らすようになっていますから、この記事の書いていることとは時期的に合っています。この記事が事実とすれば、藤圭子は別居後にヒカルと同じマンションに住んでいた時期があったことになります。

同居していた男性との関係

2013年のアサ芸プラスが藤圭子のカジノ遊びについて伝えています。

藤はごく近しい芸能関係者には時折、連絡を取っていた。ある芸能プロ幹部が証言する。

「6年ほど前(2007年)のことです。藤は周囲に、こんなことを漏らしていたんです。最近交際している男性とは、関係は順調で『ラスベガスのカジノにも同行してもらっている』と。そしてその理由を聞くと、単なる交際相手という以外に、『自分1人でお金を持ってカジノに行くと、全て使い切ってしまう。だから彼に現金を持たせて使いすぎないようにしている』と言っていたそうです」

自分でギャンブルに使う金額を抑えられないのはギャンブル依存症の特徴です。藤圭子のカジノ遊びに同行した男性は、藤圭子のマンションで同居していた男性と思われます。

この男性について2013年9月1日の週刊実話が伝えています。

同居していたという男性も男女の関係ではなく、藤を心配した照實氏が身の回りの世話をするために付けたマネジャーのような人だったようです。そんな生活の中で心を許せる身内もおらず、孤独で精神的にも不安定になっていったようですね」(女性誌記者)

同じく2013年8月25日の東スポWebも報じています。

「藤圭子さんとは知りませんでしたが、(マンションの)13階に住んでいる女性は普通の主婦っぽくなくて目立ちました。目が少しうつろで、ボ~ッとしているようにも見えました。よく若い男性が手首を引いて『こっち! こっち!』とやっていたので“息子さんかな”と思いました」

 また別の50代女性は「マンションの玄関前で、若い男性が『阿部さん、阿部さん』と呼んでいるのを見たことがある」という。M氏が普段、藤さんを本名の「阿部」で呼んでいたということは、2人が相当近い関係だったとみていいだろう。

2007年頃、藤圭子は目がよく見えなくなっていました。近くは見えるが遠くは見えない状態だったのだと思います。照實氏から依頼された男性は、網膜色素変性症で目が不自由になった藤圭子の足代わりともなっていたのでしょう。

精神科を受診していた藤圭子

照實氏は藤圭子が自殺した時、コメントを発表しましたが、その中で藤圭子が病院の受診を拒否したとして次のように説明しています。

とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

しかし藤圭子は自身の症状に悩んでいたのでしょう、一時、精神科を受診していました。2013年9月4日のアサ芸プラスが報じています。

藤は旧知の芸能記者に「久しぶりに日本に帰ってきたけど、話す人がいない。寂しい」と孤独感を吐露していたと報じられている。その記者には「感情を抑えることができない。パニック障害と診断された」と、病名も明かしていたというのだ。

境界性パーソナリティ障害ではあらゆる精神疾患が併発しうるとされています。その意味で藤圭子が自身の症状のすべてを医師に話さなければ、併発しているパニック障害と誤診されたとしても不思議ではないでしょう。

誤診されてパニック障害の治療をしても、境界性パーソナリティ障害の治療をしなければ、その症状が良くなることはありません。