足を引きずるようにしてスタジオに向かった藤圭子

藤圭子がデビューして人気が沸騰した頃の藤圭子のステージ出演前の様子を1970年6月発行のサンデー毎日が報道しています。抜粋して引用します。


NETテレビ局の化粧室ーーもちろん個室ではないーーロッカーが林立し、鏡台がせり合うようにあるその前で、藤圭子は所在なさそうに芸能週刊誌をパラパラめくっていた。

洗いざらしの紺のGパン、洗たくで少し縮んだような白のセーター、ほおにかかる髪をうるさそうにかきあげながら…
いまなにが一番したいって、そんなのない。お金もうかっているでしょうって? とんでもない。出るほうが多いんだもの。衣装代ね、全部。もったいないけど仕方ない。人気? そりゃあるにこしたことない。人気が出ていること自体についてはうれしくないなんてったらウソだから、やはりうれしい。でもね、それ以外の不自由なことも多いからね。外を出歩けないし、お母さんと買い物にも行けない。どっちがいいんだかわかんないよ。

藤圭子はデビューから1年近くの間は月給が8万円以下だったので衣装代を賄うために借金をしていました。お金の貯まりようがなかったのです。新人でいきなり大ヒットを飛ばした場合、おうおうにして給料が売上と比較して極端に少ないということがありますが、藤圭子の場合はとりわけ少なかったようです。

楽屋にいた藤圭子に出番がかかったときの様子をサンデー毎日は次のように描写しています。

「ドライ(リハーサル)ですよ!」とテレビ局の人が駆け込んでくる。「じゃまたあとで…」ーーものうげに立ち上がり、ロッカーのカギをめんどうくさそうにはずす。ピンクのジャケットを取り出して肩にひっかけ、足をひきずるような歩調でスタジオに向かって歩いていった。

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なんだか藤圭子が疲れている様子が文面から読み取れます。このインタビューではあまり忙しくないと話していますが、実際には多忙を極めていたと思います。そうしたことがあって疲れていたのでしょう。それでも母の目を治す治療代を稼ぐために仕事をしていたと思われます。
リハーサルが終わった藤圭子に続けてインタビューしています。 

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当の藤圭子、リハーサルを終わって出てきた。
「ほしいもの?阿部純子は恋人とか話し相手、藤圭子だったらドレス。小さいとき、なんで遊んだかって? 人間とよ。人形と遊んだ記憶ない。花はね、菊がいちばん好き。菊って奥さんの感じでしょ。一流に? スターに? 特別になりたいとはおもっていない。阿部純子がついていけないもん。人気が落ちたら、その時にまたなにか考えるでしょう。自分でこうしたいっていったって、そうはいかないもん」

人形と遊んだことがないのは、小さい時に家が貧しく人形を買ってもらえず、人形遊びの輪に入れなかったからです。藤圭子はそのことで寂しい思いをしたと述べています。

インタビューで一流になりたいとは思っていないと話していますが、最初の紅白当選後には紅白に選ばれることに異常ともいえるほどの執着を見せています。1970年に初めて紅白に選ばれてから、紅白に選ばれることが藤圭子にとって至上命題となっていました。

「自分でこうしたいっていったって、そうはいかないもん」という、自分で局面を打開していこうということをあきらめる考え方は藤圭子に特徴的な考え方です。これは幼少の頃に父親との関係がよくない人に見られる考え方です。

こうした傾向があるために、歌手になってからも藤圭子の側から作家にこういう歌を歌いたいという要望を言い出すことをせずに、ただ与えられた歌を歌うことに終止することになったのでしょう。実にもったいないことです。