40代で練習して上が1オクターブ、下が半オクターブ広がった藤圭子 『岸壁の母』を歌う

1997年5月発行の週刊読売で藤圭子が話しています。抜粋して引用します。

性格なんて変わる

本人を前にして

「どんな性格です?」

聞いてみた。

「そうねぇ・・・」

ちょっと困ったような顔をした。

「正直、自分の性格が分からない。変わってきているとは思うんです。性格は環境などで変化してくると思うんですよ」

気が強い?

「そうじゃない」

首をぷるんと振った。

「私、すごく気が弱いと思う。そこが自分の欠点かなァ。周りの環境、人の目を気にするんですよ。デビューした当時なんか、周りの目が気になって外に行けなかった。逃げ隠れてコソコソしていましたからね。いまでもそういうところがある。だけど、結婚し、子供ができてからは随分、変わったと思いますよ」

娘との差は数十倍に開く

81年、カムバック宣言をしたが、事務所との折り合いが悪く、復帰にはならなかった。再び渡米。生活の場を米国に移して本場のヒップホップ音楽などを学んだ。

その間、ニューヨークで知り合った米国生活の長い音楽プロデューサー・宇多田照實さんと結婚し、長女を出産。

「私の生活の場は日本ですが、彼女(娘)はアメリカでしょうね」

娘は音楽家を目指す。ボーカルになるか、作詞、作曲をやるかは分からないが

「才能は私よりある」

娘の話になると顔が和らいだ。

「もう娘にはかないません。私より数十倍、進化した人間です。OA機器でいえば二十五年前といまのコンピュータぐらいの差があります」

いまは幸せ。それを与えてくれるのが音楽だと思うようになった。

「音楽をつくる側のスタッフとして、ずっと音楽づくりに参加したい。歌うことはもちろん、曲を作るプロデューサーとしてもやっていきたいですね。

練習して上が1オクターブ、下が半オクターブ広がった

「年をとるとキーが下がるといわれているけど、毎日2時間、声を出して練習しているので、声は上が1オクターブ、下が半オクターブ増えましたよ」

 


藤圭子 乾杯トークソング 岸壁の母

藤圭子は1997年11月2日の乾杯トークソングで『岸壁の母』を歌っています。その際のキーがそれまでの彼女のキーよりもかなり高くなっています。これはあきらかに日頃の練習の賜物でしょう。