石坂まさを「圭子の夢は夜ひらく」作詞のエピゾード

DVD「田原総一朗の遺言 ~藤圭子/ベ平連~」で、石坂まさをが「圭子の夢は夜ひらく」を作詞した時のエピゾードを、電話で田原総一朗に話しています。2011年末と思われる収録ですので、石坂まさをの体調はあまりよくないように聞こえます。

「その時、僕、熱を出しちゃって38度くらいの。それでスタジオ行って毛布にくるまっていたんですよ。そしたらディレクターの榎本襄さんが、『これわるいけど 圭子の夢は夜ひらく というタイトルにしてあるから、オリジナルを書け』ちゅうんですよ。

それで朦朧として、何をオリジナルに書いたらいいんだろうと思って、赤く咲くのはけしの花、白く咲くのは百合の花、どう咲きゃいいのさこのわたし、夢は夜ひらくって、藤圭子さんは紅白に出たいと思ってやったんだからと、そういうふうに詞を書いたんですよ。

2番になったら朦朧としてますから、今度、自分は中学校までしか出ていなかったから、十五、十六、十七と、私の人生暗かった、過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらくって、朦朧と書いたんですよ。

そしたら少し頭がしっかりしてきて、こんなことじゃいけないと思って、藤圭子さんのことを書かないといけないと思って、その当時、藤圭子さんドラムに夢中になっていて、ホリプロのオリーブっちゅうチームにマー坊とトミーっちゅう子がね、ドラムを叩いてたんです。それの追っかけをやってたんですよ。憧れ的な男の子が二人いたんです。

変な話ですが前川清くんと結婚するでしょ。前川君もドラムを叩いていたから結婚したんですよ。明日はジョージかケン坊、はね、榎本襄さんちゅうのと、ケン坊というジョウケンジさんという僕のアシスタントがいたんですよ。そういうふうに名前をいって書いたんですよ。

だからてんでバラバラなんですよ。あの歌詞はね。だからよく僕、代表作って言われますけど、もう、僕としては頭がおかしい時に書いたもんですから……」

1番の〈赤く咲くのはけしの花、白く咲くのは百合の花〉というフレーズが、藤圭子の紅白出場への願掛けだったことが分かります。

2番の〈十五、十六、十七と、私の人生暗かった〉のフレーズは、藤圭子の人生ではなく、中学2年のときに、自分の母親が本当の母親ではなかったことを知って勉学への意欲を失い、かろうじて入学した高校の定時制を退学したことや、結核にかかっていたことが分かり、人生への希望を失っていた時期だった ”石坂まさをの人生” を表現したものでした。

3番の〈昨日マー坊、今日トミー〉のフレーズは、藤圭子が「流星ひとつ」で話していたことと基本的には同じです。

『圭子の夢は夜ひらく』を、高熱を出して朦朧とした状態で作詞したというのは意外です。