藤圭子の『不幸』を演出した石坂まさをの誤算

藤圭子のデビューにあたり、石坂まさをはデビュー戦略を練りますが、その際に参考にしたのが、1967年に五木寛之が発表した小説『涙の河を振り返れ』です。このことについては こちらの記事 に書いています。藤圭子の売り出しにあたって、ことさらに藤圭子が貧困の中で育ってきたことがマスメディアに流布されました。

ですが石坂まさをが参考にしたのはデビュー戦略だけではないようです。デビューしてから数年が経過して藤圭子の人気が落ちてきた時、石坂まさをはふたたび『涙の河を振り返れ』を参考にしてレコードセールスの挽回を図ったと思われます。

『涙の河を振り返れ』は、デビューしてから3年が過ぎ、金銭的にも人間的にも裕福で幸福になる一方で人気に陰りが見えてきた20歳の歌手・水沢忍の売出し戦略を、マネージャーの黒木が旧知の仲の大学講師で社会心理学者でもある「私」に依頼してきます。同書から引用します。

「つまり、忍には不幸が欠けていると言うんだな?」

と、黒木はしばらくして言った。私は首を振って答えた。

「いや、彼女が不幸であるかどうかの問題じゃない。大衆が、彼女の背後に例の〈不幸の味〉を感じるかどうかだ。今の水沢忍は、貧しい場所からスタートして、見事に高みへのぼった成功者じゃないのか。最初のうちは大衆の共感もある。だが、その高みに安住してしまったとき、彼女は〈不幸の味〉を失った。敏感な大衆は、彼女に自分たちの悲しみの投影を見ることができなくなった…」
 (中略)
「あんたの言うことはどうやら本当らしい。忍は〈不幸の味〉を忘れすぎたんだ」

「プロモーターとしては、彼女にもっと不幸をプレゼントしなきゃならんな。かつての涙の河を振り返らせるようなね」

と私は冗談を言った。

その後、水沢忍の身近に不幸な出来事が次々と起こるようになります。

… 記事の内容は、人気絶頂の女性歌手、水沢忍の両親が正式に離婚することとなり、妻、シノさんと、夫の盛造さんが、水沢忍を引っ張り合って告訴事件に発展しそうな様子だ、といったものだった。間にはさまって、水沢忍がノイローゼ気味だとも書かれてあった。ひどくやつれて、目ばかり光っている水沢忍の写真も出ていた。
 (中略)
水沢忍の両親はやがて別れたらしかった。金の面はまだ解決しなかったらしいが、忍自身は母親のほうに残ったようだった。父親は今度の騒ぎの原因になった酒場のあるホステスと、手をたずさえてマンションに移ったという記事が出ていた。
 (中略)
… その年の3月に、今度は激しい暴露記事が雑誌に出た。水沢忍は、地方からの集団就職で上京したことになっているが、これはまったくのねつ造であり、彼女の以前の家は川崎市の旧赤線であり、かなり知られた店だったと書いてあった。見出しには〈皇太子ご夫妻と同席した女郎屋の娘〉とうたってある。

その記事が出て数日後に、水沢忍の失踪のニュースがファンをおどろかせた。
 (中略)
… すっかり憔悴しきった彼女を見て、客席からすすり泣きの声がもれた、という記事も出ていた。彼女のスケジュールは、以前よりも更に激しくなってきたようだった。デビュー曲を含むLPレコード集が発売され、記録破りの売れ行きを示しているという記事も目についた。

この後も水沢忍の身近に不幸が相次ぎますが、彼女の人気はうなぎのぼりで、ついにその年のレコード大賞を受賞するまでになります。

小説はこの後で、水沢忍の身に起きた不幸はマネージャーの黒木が画策して起こしていたことが判明します。小説では不幸になればなるほど人気を集める水沢忍が描かれています。

石坂まさをはデビュー後数年が経って人気が落ちていた藤圭子に、小説と同じような手段で藤圭子の人気を復活させようとした可能性があります。

現実の藤圭子は1973年に両親が離婚し、その際の金銭問題でもめていました。父親の阿部壮氏が離婚に際して要求した金額で、母親の竹山澄子さんと藤圭子を含めた兄妹との間で争いになったのです。そしてその争いは父親と藤圭子の兄の藤三郎氏がテレビに出演して主張をぶつけ合うという醜悪な事態にまで発展しました。

ここで驚くことに石坂まさをが一緒に出演して阿部壮氏とやりあったのです。歌手の事務所の専務がその両親の離婚トラブルでテレビに一緒に出演して争うなど、前代未聞のことでしょう。

1973年5月23日号 女性セブンが ”無残! 藤圭子一家の『人間崩壊』” との見出しで報じています。抜粋して引用します。

これでは藤圭子が哀れすぎる。

一家の ”骨肉の争い” は、5月4日、いよいよ最高潮に達した観があった。岩手県の花巻市に身をひそめていた藤圭子の父、阿部壮氏(48歳)が上京、テレビに出演して、すべてを語ったのだ。

番組は『あなたのワイドショー』(NTV系)

芸能評論家、加東康一氏が中に立ち、阿部壮氏は、藤圭子の兄、阿部博さん(もと歌手・藤三郎)と、育ての親、沢ノ井竜二氏のふたりと対決したのである。

両者が事前に一言も話し合うこともないままに、番組ははじまった。

壮氏は、はじめから泣きながら、はげしい口調。もう、目にハンカチをあてている。
 (中略)
父  「沢ノ井さんはうそつきだしその口には乗れませんよ」

沢ノ井「人間は金銭だけじゃないと思うんですよ」

父  「いや、金銭ですよ」

博さんも身を乗り出して父にいう。

「あの350万円は、ぼくたち3人が出し合ってつくったたいへんな金なんです。父がお金のことばかりいっているので、お金をつくって渡したんです」

すると、壮氏は、ますますはげしく泣きながら、まくしたてる。

「お金をもらえば、私はどんな悪者になってもいいんです」

このようなやりとりで、収拾がつかないまま、番組は終わった。

番組では壮氏が泣きながら主張しているので、精神的に問題があるように見受けられます。それにしてもこの番組出演はどのようにして決まったのでしょうか。歌手の親の離婚問題でテレビ出演して主張をぶつけ合うというこの企画は、出演者でもある石坂まさをが言い出した可能性があります。

石坂まさをは『涙の河を振り返れ』を読んで、人々に藤圭子がことさらに不幸に感じられるように、この企画をテレビ局に提案したのでしょう。藤圭子は、この3ヶ月後に石坂まさをの作詞でシングル『遍歴』を発売しています。この曲は発売時期からいって紅白出場をかけた勝負曲の位置づけといえます。


遍 歴★藤 圭子

この詞を次に示します。

 リサが生まれたその朝は 町もこごえる雪の朝
 祝う人さえない部屋で  母は一人で泣いていた

 リサが五つの誕生日 リサを見捨てた母でした
 やっとおぼえたその顔を その日限りで捨てました

 十四、十五はただ荒れて 意味のないまま風まかせ
 一人ぼっちのさみしさに リサは女になりました

 信じきれない人だけど すがりついてた人でした
 すがるものさえこわれた日 父のない子を生みました

 人の噂につい負けて リサはこの町捨てました
 一人見知らぬカウンター リサは初めて泣きました

石坂まさをは、藤圭子の両親の離婚をめぐる泥仕合をテレビで流し、人々に、藤圭子の〈不幸の味〉を再び印象付けようとしたのでしょう。その後で発売したこの『遍歴』はまったく救いのない女性の不幸を描いています。

ですが石坂まさをの狙いは外れたといえます。『遍歴』はオリコン最高50位で4万枚足らずしか売れませんでした。もちろん紅白には落選し、連続出場は3回で途切れました。

五木寛之著『怨歌の誕生』のあとがきによれば、後に石坂まさをは五木寛之に詰め寄っています。石坂まさをは五木寛之に「わたしのやったことは、五木さんに責任があるんです」といい、『涙の河をふり返れ』の中の文章の一部をすらすらと口にしたといいます。

石坂まさをが言った「わたしのやったこと」とは、『涙の河を振り返れ』にならって、藤圭子の両親の離婚をめぐる泥仕合をテレビで流したことだったのでしょう。それが意図に反してレコードの売上に貢献せず、紅白に落選したことで五木寛之に抗議したと考えることができます。ですがこれは五木寛之にとってはいい迷惑というしかありません。