藤圭子の精神の病の症状が現れている八代亜紀との動画

藤圭子の精神の病は境界性パーソナリティ障害ではないかということは既に書きました。藤圭子の場合は自傷行為や自殺企図が目立たない高機能型の境界性パーソナリティ障害だと思います。

境界性パーソナリティ障害の特徴的な症状のひとつに『理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動く不安定な対人関係』を挙げることができます。親密な人との対人関係が、同じ人に対して極端に理想化して無条件に信頼する場合と、まったく逆に手のひらを返したかのように激しく罵倒し攻撃する場合とのどちらかしかありません。双方の中間で、その人にはいい面もあれば悪い面もあるといったグレーの見方ができないのです。

藤圭子は仕事の場面では症状が現れることは基本的にはありませんでしたが、この症状が現れている珍しい動画があります。1997年1月27日に放送された『NHK ふたりのビッグショー』での一場面です。このステージで藤圭子は八代亜紀とリハーサルも含め、長時間一緒に仕事をしています。八代亜紀は藤圭子にとって親しい関係にあった数少ない歌手仲間です。

一緒に長時間親しく過ごすうちに藤圭子に八代亜紀が理想的な人に思えてきたのでしょう。自分のすべてを理解して受け入れてくれる、とても素敵な人に見えてきたのだと思います。藤圭子は番組のエンディングの最後で八代亜紀の胸にうれしそうにもたれかかっています。まるで幼子が母親の胸に抱かれるように。


藤圭子♥なごり雪(ふたりのビッグショー)

このときのことを八代亜紀は、2013年12月17日の週刊朝日で次のように語っています。

1997年にはNHKの番組「ふたりのビッグショー」で共演したこともあります。タイトルどおり、ふたりで歌い進めました。エンディングで「なごり雪」をデュエットしたんです。歌い終えたところで、なぜか、圭子ちゃんが私の胸元にぺたーっと体を預けるようにもたれかかってきたの。「え?」と思いながら、私も、子どもみたいに「よしよし」って頭をなでちゃった。あの瞬間、圭子ちゃんのことが本当にいとしかったですね。

八代亜紀はこの藤圭子の行動に驚いたといいます。このときの藤圭子の行動を微笑ましいこととして済ましてしまうこともできるでしょう。ですが藤圭子が精神の病を患っていることを知っていれば違う見方になります。

境界性パーソナリティ障害の症状が起きている時、本人は一時的に退行状態となっている場合があります。藤圭子は八代亜紀と親密な時間を過ごすうちにエンディングの最後で一時的に退行して赤ちゃん返りし、八代亜紀を極端に理想化してあたかも母親に対する赤ちゃんのようにもたれかかったと考えられます。

退行して症状が起きているときは100%良いか100%悪いかの両極端しかありません。白黒思考とか二極思考と言われる思考です。もし藤圭子と八代亜紀がこのステージの後に親密な関係を続けていたとしたら、藤圭子にとって気に入らない言動を八代亜紀が行ったならたちまちのうちに罵倒・攻撃の対象となったことでしょう。幸い、この後で両者が再び親密な関係を結ぶことはなかったようです。

境界性パーソナリティ障害のこうした言動は、見捨てられ不安と関連があるとされています。つまり、尊敬していた人の、自分の意に沿わないちょっとした一言、あるいは態度、そういったものに直面すると、頼りにしていたこの人も自分を見捨てるに違いないという不安がわき起こり、それが当人に対する罵倒になると解釈できます。

「見捨てられ不安」というのは幼児にとっては生死を左右するものです。親から見捨てられた幼児は生きていくことができません。境界性パーソナリティ障害の人は親密な人間関係でしばしば幼児的心性に退行します。ですから親密な関係にある人から少しでも見捨てられるような意図を感じると、激しい怒りが生じるのです。このとき、怒りの対象となった人はなぜ自分が怒られているのか理解できないことがほとんどです。それほどごく些細なことが見捨てられ不安をかきたてるのです。

宇多田ヒカルは藤圭子が亡くなった後にTwitterで子供時代の出来事として「光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど」と述べています。子供時代の宇多田ヒカルにとってはつらい体験だったことでしょう。

境界性パーソナリティ障害では、親密な人間関係でこうしたことがしばしば起きます。後年になって藤圭子と宇多田ヒカルは別居状態となりますが、一緒に暮らすことは藤圭子の不安定な精神状態のために無理だったのだと思います。

藤圭子の症状は基本的には親密な関係にある家族との間でしか生じませんでしたから、事情を知らない外部の人が藤圭子と照實氏や宇多田ヒカルとの関係を誤解する結果となりました。