藤圭子と照實氏はなぜ何度も離婚・再婚を繰り返したのか

藤圭子と照實氏は6、7回も再婚・離婚を繰り返したことは有名です。ソースによって6回だったり、7回だったりして、合計の回数が何回だったのかは絞れませんが、同じ相手と少なくとも6回も再婚・離婚を繰り返したのは極めて稀なケースと言えるでしょう。

常識的に考えて離婚の決断をするにはよほど重大な問題があるはずです。中でも性格の不一致のように、長年の間で積り重なった細かな不満が原因で離婚に至った場合は、まず復縁することはないでしょう。

そうではなく、不倫などの特定の原因がある場合、それによって離婚に至っても、一時の感情が収まって冷静になり、よりを戻すことはあり得ると思います。特に子供がいる場合は、子供の今後を考えて再婚するというケースはありそうです。

1999年7月8日号 週刊宝石によれば、藤圭子と照實氏は、1982年6月に結婚してから1999年までの間に3回離婚・再婚をしています。

 1986年10月 1回目の離婚。17日後には「ヒカルの幸せのために」と再婚。
 1989年  4月 2回目の離婚。14日後には再婚。
 1992年  1月 3回目の離婚。同年8月には再婚。

同誌から抜粋して引用します。

1回目の離婚・再婚は、度重なる夫婦喧嘩のあげく、カッとなった照實氏が離婚の書類を取ってきて、2人で署名・捺印し、離婚届を提出してしまったのだといわれている。
 (中略)
離婚のたった17日後には、「これからも家庭生活は続けていきます」と、あらためて婚姻届を提出。スピード復縁となったのである。
「ちょっとした意見の食い違いから、つまらないことからいさかいをして…。でも、そのあと冷静になって2人で話し合ったんです。離婚しても2人に何も生まれないし、夫婦は子供を幸せにしなければならない親の責任がある。子供がかわいいのは2人とも同じ。バカなことをしてしまったとわかった。コロコロ変わるといわれても、 ”後悔したくない” 僕たちなりの結論です」
とは照實氏の当時の反省のコメントである。一方の藤圭子も、
「離婚届を出したのはそれなりの理由があったからですが、気持ちが静まってみると、子供を不幸にさせてはいけないと気がつきました。再婚を決めるのが早かったのがせめてもの……」
 (中略)
1989年の4月中旬に2度めの離婚。この時ヒカルは6歳。前回を上回ったのは、離婚から再婚までのスピードであった。再々婚が4月後半。わずか2週間あまりの離婚という珍記録である。
プロダクション関係者の説明。
「最初の離婚のときもそうでしたが、離婚中も実生活ではずっと同居を続けていたんですよ。同居していれば、激した感情も収まって、また一緒にやっていこうよと思うようで、すぐさま復縁する。まあ、本人同士が話して決めたことだし、誰にも迷惑はかけていないから、いいんでしょうがね」
6歳のヒカルは、両親が離婚届を提出した後も、
「パパとお母さん、別れちゃイヤだ!」
と訴えたというから、少なくともヒカルには迷惑がかかったことになる。

3度めの離婚では再婚までに7ヶ月ほどかかっています。この離婚は米国に滞在中でした。1992年7月に日本に戻ってきてから間もなく再婚したことになります。離婚届を出していたことを長い間忘れていて、思い出して婚姻届をだしたこともあったといいますから、そのケースなのかもしれません。

離婚は照實氏の不倫問題やヒカルのプロデュース方針など、特定の原因だとされています。特定の問題なので一時の激情が収まってみると、また再婚ということになるのでしょう。それにしても同一人との間で7回ほども再婚・離婚を繰り返すというのは尋常ではありません。これには藤圭子の精神の病が関係していると思われます。

藤圭子の精神の病は境界性パーソナリティ障害の可能性が高いのですが、この疾患の特徴の1つに衝動性の高さがあります。あることが原因で衝動的に離婚を決めてしまうといったことがあったのかもしれません。照實氏にとってみれば、藤圭子が衝動的に離婚を要求しても、一時の衝動だと分かっていて、再婚を見越して離婚に同意するといったことがあったのかもしれません。

衝動的に決めてしまうということでいえば、前川清との結婚も衝動的に決めてしまったと言えるでしょう。

当時、前川清との交際をマスメディアが知るようになり、石坂まさをは取材が殺到する前に藤圭子に ”独占手記” を書かせていました。そのことを前川清に話していなかった藤圭子は前川清から叱られ、石坂まさをに相談の電話をかけますが、すぐに対応してもらえなかったことで、藤圭子は怒って前川清と結婚することを決めてしまいました。

その後、RCAの榎本襄氏は、藤圭子と前川清の結婚予定発表後に、結婚を止めたいと藤圭子から相談を受けたといいます。もちろん榎本襄氏は今さらそれはできないと答えています。

照實氏はTwitterなどで自身の出自が「宇多田」姓で高貴な血筋であるとか、NASAのテストパイロットになるはずだったとか、ベトナム戦争に従軍したなどと、どこまで本当なのか分からない自慢話のようなことを公言しています。

こうした点を考慮すると、照實氏には自己愛性パーソナリティの傾向があるように感じられます。自己愛性パーソナリティの人は、自分を特別な存在であると思い込んでいます。それだけに周囲の人達は自分に対し特別な計らいをしてくれることが当然だと考えています。その分、他人に対する思いやりに欠けています。

 境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティとの組み合わせは、『ボーダーライン・カップル』と呼ばれ、比較的相性のよい組み合わせとされています。

境界性パーソナリティ障害の人は、自分の中にある自信喪失と不安の感情の空洞を埋めてくれる、自信に満ちた(表面上だけでもそう見える)ナルシスト的傾向のある相手に寄り添うのです。

精神科医の小此木啓吾氏は『精神医学ハンドブック』の中で、ボーダーライン・カップルを次のように形容しています。

ボーダーライン・カップルの世界では、熱烈な愛や理想化や誇大自己の満たし合い、その傷つき、怒りや破綻、償いがドラマ的に繰り返される。平凡な普通の穏やかな人々の世界に比べて、劇的で休む暇もない。それにもかかわらず、ボーダーライン・カップルはホメオスターシスを持った組み合わせである。それは、「不安定の中の安定」というボーダーライン特有の状態をその夫に支えられて限りなく続けてゆくのである。

まるでこの描写は、同じ相手と再婚・離婚を6、7回も繰り返し、戸籍に現れなかったものも含めれば13回もあったという藤圭子と照實氏の波乱万丈のカップルのことを語っているようです。

照實氏にとって、藤圭子の夫ということは、大物演歌歌手の夫というアイデンティティが生まれ、自己愛を満足させます。宇多田ヒカルが大ブレークしてからは超大物歌手の父親でかつ音楽プロデューサーというアイデンティティが生まれ、より以上に自己愛を満足させることになります。

仮に照實氏以外の普通の男性が藤圭子の夫だったら、藤圭子の不安定な感情(主に怒り)のために数ヶ月と経たないうちに懲りて離婚して終わりとなったかもしれません。自己愛性パーソナリティの傾向がある照實氏が藤圭子の相手だったからこそ、藤圭子との間で7回ほどもの再婚・離婚を繰り返しながらもパートナーであり続けることができたのでしょう。