生まれる前から宇多田ヒカルを歌手に育てようと考えていた藤圭子

宇多田ヒカルが歌のレッスンを始めたのは4歳からと言われています。2013年8月23日の日刊スポーツに、1988年頃、ヒカルが5歳頃のときに杉並の自宅マンションに、ヒカルのレッスン用の鏡を取り付けたという業者の話が掲載されています。

ここまでの話であれば、よくある早期教育で子供の才能を伸ばそうとする親の話と変わりありませんが、藤圭子の場合はそういった話に収まりません。

次の動画は、ヒカルが2歳のときのものですが、ヒカルに歌を教えています。それも『女のブルース』をです。


夢は何故・・・ 圭子タン困った

童謡を教えているのと同時に、自らの持ち歌である『女のブルース』も教えているということは、ヒカルを歌手にしようとする意図が感じられます。

藤圭子の歌手復帰後にプロデューサーを務めた酒井政利氏は、ヒカルが 2、3歳の頃からうちの子どもは天才だと周囲への売り込みが激しかったと述べています。

正直言って、どうやれば2、3歳のうちに音楽の才能が見極められるものか不思議ですが、そのときは藤圭子の思い込みであったとしても、宇多田ヒカルは日本を代表する大歌手になったのですから、結果的に藤圭子には天才を見抜く耳があったということになるでしょう。

2、3歳のうちにヒカルを天才だと売り込んでいた藤圭子ですが、宇多田ヒカルがまだ生まれる前から歌手にすると決めていたという証言があります。

次の動画では、美川憲一が妊娠中の藤圭子から、米国で子供を生んで歌手にするんだと聞かされたと述べています。


美川憲一・カルーセル麻紀が語る 実像の藤圭子

「どういうふうな歌手? あなた演歌でしょ」と言われた藤圭子が、美川憲一の前でマイケル・ジャクソンみたいなリズムでダンスを踊ったので、目が点になるほど驚いたといいます。

番組の中で美川憲一は、このときの藤圭子を「この人、ブッ飛んでいる人なんだ」と思ったと言っています。

同じようなことを、前川清も言っています。2016年12月18日のニッポン放送の番組で、前川清は藤圭子との結婚中のエピソードをこう話しています。

藤圭子さんは、どちらかと言いますと、演歌歌手でいながら、考えが全然違いましたからね。もう、あのー、飛んでましたね。外国へ自分は行くと、その発想が僕にはなかったです。僕よりもっと違う見方というか、すごかったです。
というのは歌謡曲を歌っているんだけども、歌謡曲をそこまで好きじゃなかったのかもしれませんね、彼女は。
やっぱり、もっとポップス的なもの、もっと明るい歌とか、違うものがあったような気がします。だから彼女はアメリカへ行かれたんじゃないかと。

動画ではカルーセル麻紀が、藤圭子が麻雀をするために1歳くらいのヒカルを抱いていてくれるように頼まれたと話しています。それが2度ほどあったといいます。

美川憲一は「麻雀とかギャンブルが好きとか想像できないじゃない、あの顔で。可愛い顔して」と話していますが、その言葉通り多くの人は、TVで演歌を歌っている一方で、麻雀などのギャンブルに熱中していた藤圭子を、想像だにすることができなかったと思います。

藤圭子ほど、TVなどおおやけの場で受ける印象と、プライベートでの実像とが大きく乖離した歌手も珍しいでしょう。

先程の動画の中でも美川憲一が言っていましたが、宇多田ヒカルは、藤圭子が望んで果たせなかった夢を代わりに担わされた子供ということになります。幸いにもヒカルは藤圭子の期待に答えるだけの類まれな才能を持っていました。