川端康成に ”セクハラ” された藤圭子

牧太郎という人は1944年生まれで毎日新聞の専門編集委員を務めています。その牧太郎氏が毎日新聞の編集委員だった1996年に「高度成長と全共闘」の時代を「藤圭子の存在」を通じて描こうとして藤圭子に長時間のインタビューを行っています。

そのインタビューで藤圭子は2つの ”新事実” を話した上で、「連載するなら、これは書いて欲しい」と言っていたといいます。ですが牧太郎氏はそのことを書くことに「落とし穴」にハマるような恐怖を覚え、結局、その ”スクープ” を封印することに決めたといいます。

2013年8月22日に藤圭子が自殺したことを知った牧太郎氏は、かつて公表することを断念した ”新事実” を公表することに決めます。2013年9月15日発行のサンデー毎日から抜粋して引用します。

僕が封印した藤圭子さんの「母」と「川端康成」

「藤圭子さんの飛び降り自殺」に動転して……1週間、何もできない気分だった。特別、親しい間柄ではない。1ファンといったほうがいいかもしれない。

でも……1996年10月15日、ほぼ半日、彼女は「多分、人生って苦しいことのほうが多いと思う」と僕に話し続けた。

この日は(取材対象というより)「やんちゃな妹」。「言ってはならない秘密」を ”天使” のような明るさで話した……あの忘れられない「藤圭子」が死んだ。

 (中略)

「マスコミは嘘を書くから嫌」というようなことを言っていたと思う。「でも母親だって嘘をつくから」とつぶやいた。

両親は旅回りの芸人。藤さんは母娘で浪曲を流して稼いだが、母親は盲目だった。

「それが嘘なの。目が見えないように子供の私まで騙した」

「薄幸の母娘」を誰かが演出したのか?

「すべて、あの人の入れ知恵よ」と、彼女をスターに育て上げた作詞家の名前を挙げた。

藤圭子が「子供の私」と言っていますから、騙されたというのは学童期の時からのことを言っているのでしょう。藤圭子によれば、石坂まさをは竹山澄子さんの目が見えていることを知っていたことになります。ただし、目が見えていることを石坂まさをが本当に知っていたかどうかは、分からないとしかいいようがありません。

藤圭子が自殺した遠因には母親との関係があると思います。マスコミから ”一卵性母娘” とまで形容されるほど母親思いだった藤圭子が、1988年にその思いを裏切られたことで一度大きく精神のバランスを崩しています。

藤圭子の話は続きます。

地下の鰻屋で夕食を済ませ、熱狂的なファンの同僚記者と行きつけの新宿のバーに移った。今度は「川端康成先生をどう思う?」と唐突に聞いてきた。

〈演歌の星を背負った宿命の少女〉を一時期、多くの文化人が熱く支持した。

「一度、どうしても会いたい」と言ってきた一人がノーベル賞作家・川端康成だった。

川崎は滞在先のホテルオークラに藤を招いていた。当時の女性週刊誌は「持参した全集にサインをもらい、川端の自宅訪問を約束した」と報じたが……彼女はむしろ「悪い印象」を持ち合わせていた。

当時はセクハラという言葉はなかったが、そんな扱いを受けた、と言った。

1972年4月16日、川端は逗子のマンションで、ガス管を口にくわえて自殺した。彼女は「あの先生の自殺と私は関係があるような気がする」とつぶやいた。

牧太郎氏は自身のブログで、ギリギリの表現で「あの事」を記録することにした、と書いています。ですので記事で書かれていること以上の具体的なことが話されたのでしょう。

川端康成が女性、とりわけ若い女性に強い関心があったことは、彼の何冊かの『少女小説』や筑摩書房の『事故のてんまつ』などから推測することができます。

1971年4月発行の週刊明星が同年4月7日にあった川端康成と藤圭子との歓談の様子を報じています。

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それによれば1時間ほどの歓談の場に、川端康成の夫人と石坂まさをが同席し、週刊明星の記者もいました。記事によると川端康成と藤圭子が二人きりになる場面はなかったようです。そのような衆人環視の場で川端康成が藤圭子にセクハラまがいの言動を行えるのか、少々疑問に感じます。藤圭子が川端康成のどんな言動でセクハラと感じたのかが分かりません。

歓談した当時はセクハラという概念がなかった時代ですから、当時は問題だとはみなされなかったことでも、後の時代から振り返るとセクハラに該当したのかもしれません。

藤圭子が川端康成とホテルオークラで会ったのは1971年4月で、川端康成の自殺とは1年ほど間が空いています。藤圭子が川端康成の自殺に関係があるような気がしたことの理由が判然としません。

ホテルオークラで会った際、藤圭子は川端康成から自宅へ来るように誘われて承諾していますが、その後、川端康成の自宅を藤圭子が訪れることはありませんでした。

初代林家三平夫人の海老名香葉子さんは、川端康成から、藤圭子に会わせてくれないかと頼まれています。香葉子さんは二人の都合を聞いて日にちを決め、浅草の日本料理店を予約しますが、どういうわけか当日になって二人とも来なかったといいます。

川端康成から香葉子さんが頼まれたのがいつの時期か分かりませんが、藤圭子が川端康成からセクハラを受けていたのであれば、その後で藤圭子が川端康成に会おうとは思わなかったでしょう。