藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由とは

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由は、一般には金銭問題だったと言われていますが、具体的な理由についてはあまり知られていないようです。大下英治著「悲しき歌姫」には、1989年頃に藤圭子石坂まさを夫妻と交わした会話としてその理由の一端が示されていますので引用します。

このとき、藤が、二人に向かってピシッと言い放った。
「もう、わたしのお母さんとは、付き合わないでちょうだい」
それを聞いた清子は、最初、何を言っているのかわからなかった。〈あんなに仲がよかったのに、どうしちゃったの?〉心底びっくりした清子は、言い返した。「純ちゃん、何を言ってるの?」
それでも、藤は態度を崩そうとしない。
「だから、お姉さん、わたしのお母さんと付き合うというなら、わたしはお姉さんと、今後、いっさい付き合いません」
「どうして?」
そう訊く清子に、藤は理解できないような理由をあれこれと言った。そのうちの一つに、こんな理由があった。
「今、生活が大変なの。お母さんがお金を管理していて、わたしに、一銭も出さなくなったのよ」 
そう答える藤を、言葉通り信じることは清子にはできなかった。

清子さんはこの後で澄子さんに電話で確認したところ、藤圭子にお金を渡すとすぐに使い切ってしまうため、自分の老後のお金が心配で、藤圭子にお金を渡していないといいます。

藤圭子はヒカルを米国で育て、世界に通用する歌手にしようとして1990年4月に照實氏とヒカルとともに米国に移ります。そのためにまとまったお金が必要となり、母親の住んでいる綾瀬のマンションも売却します。その際の経緯が、宇多田家をよく知る芸能関係者の話として、2016年2月の日刊ゲンダイに掲載されました。

しかしニューヨークに定住する話になって、当座の資金を得るため広尾の物件を売却し、綾瀬のマンションに越した。だから就学前にヒカルも綾瀬に住んでいた。
ですが、それでもお金が足りなくなって、藤は母親が住む綾瀬の家を
『私が買ってあげたものなのに私の好きなようにして何が悪いの。ニューヨークで暮らすのはヒカルのためだから』
と言って、勝手に売ってしまったんです。

米国移住に必要なお金を巡って澄子さんとの間でトラブルがあったのは事実ですが、これは藤圭子が母親と絶縁したことの本当の理由ではないと思います。

本当の理由は、2013年9月12日発行の女性セブンに、宇多田家の知人の話として掲載された、次のことだと考えられます。

当時、藤さんは母に強い不信感を抱くようになっていたんです。彼女は絶縁したお父さんから、以前、お母さんが藤さんのギャラを着服していたという話を聞かされていたようなんです。

この父親の話が事実がどうかは分かりませんが、藤圭子がそれを信じたということは、それなりに思い当たることがあったのでしょう。デビュー後に稼ぎ出した莫大なお金は、月給の形で銀行員が現金で毎月、澄子さんのもとに届けに来ています。澄子さんがその現金を手で確かめてから、銀行側が口座に振り込んだのでしょう。

一卵性母娘とまで言われるほど母思いだった藤圭子が、その母親が自分のギャラを着服していたと分かった時、これまでの努力がすべて裏切られたと感じたであろうことは想像に難くありません。後年になって「稼ぎを食い物にされた」と言ったのはこのことを指してのことでしょう。

また、2013年9月14日発行の週刊現代に兄の藤三郎氏の話が掲載されています。

純子がある時、私にところに電話を掛けてきたことがあります。そして唐突にこう言うのです。
「お兄ちゃん、私は騙された。お母さんは目が見えるのよ」

この話も父親から聞かされた可能性があります。今までてっきり目が見えていないと思っていたのに、そう聞かされただけでは信じることはできないでしょうから、澄子さんの目が見えることを、自分なりのやり方で確かめたのかもしれません。

澄子さんがギャラを着服していたこと、澄子さんは目が見えていたこと、を知った藤圭子は、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたことでしょう。

それまで母親のために子供の頃から歌を歌って一家の生活を支え、母親など家族のためにマンションを数件購入し、アパートも2棟建てたり、歌手になってからも目の見えない母を1人にしておけないと、同じマンションで同居していました。それが何十年もの間、騙されていたことになるのですから。

脆弱なアイデンティティしか持てなかった藤圭子は、このために再び精神のバランスを大きく崩してしまいます。この当時、藤圭子は母親らによって強制的に入院させられています。おそらく自殺未遂を起こし、さらに繰り返す恐れが高かったため、本人の意志に反して強引に入院させたのだと思われます。そうでもなければ強制入院という最終手段は取らないと思います。

2013年9月14日発行の週刊現代で藤三郎氏が話しています。

… 確かに妹は精神的に不安定な状態が続いており、私達の母親が治療を受けさせようと、千葉県内の病院に入院させたことがあります。そのころの妹は、母親の言葉に従って素直に入院治療を受け入れるような状態ではありませんでしたから、母親は実の娘である純子から恨まれるのも覚悟のうえで、半ば強引に治療を受けさせることにしたのです。
 (中略)
… 照實氏はメッセージの中で『攻撃的な発言や行動が見られるようになり』としていましたが、純子が入院したときの容態は、兄としてはとても口にできません。

入院したのは精神科でしょう。入院には本人の同意が欠かせませんが、本人の同意がなくても医療と保護が必要とされる者は家族の同意のみで「医療保護入院」させることができます。藤圭子を病院まで運ぶのに専門の移送業者を雇ったのでしょう。

藤三郎氏は、その時の藤圭子の様子を「とても口にできません」と話していますから、一時的な錯乱状態だったものと思われます。

しばらくして藤圭子は退院しますが、これには藤圭子自身の強い意向があったはずです。自分が精神的に不安定になったのは、母親の裏切りのせいなのだと主張したのかもしれません。藤圭子は、照實氏に退院できるよう身元引受人となってくれと頼んだのでしょう。

この件で、ネット上には照實氏が藤圭子を「強引」に退院させた、というストーリーを立てている人が目立ちますが、不思議なことに藤圭子自身はどう考えていたのかについては、例外なくどれもまったく言及がありません。

これから間もなくの時期と思われますが、2013年9月12日発行の週刊文春で、澄子さんの妹で藤圭子にとっては叔母にあたる竹山幸子さんが、その当時の藤圭子の様子を話しています。それによれば、藤圭子は澄子さんを「鬼」とののしり、澄子さんが自分を毒殺しようとしているという妄想まで生じていたといいます。

藤圭子の精神状態がなぜこれほどまでに悪化したのか。それは遺伝要因とともに藤圭子が2、3歳まで、特に乳児の時の過酷な養育環境に根本的な原因があったと考えられます。その頃に受けた深刻なダメージが、藤圭子のその後の人生総体に、大きなハンディキャップをもたらすことになりました。

しかし、最後には自殺にまで至ったのですから、ハンディキャップというにはあまりにも大きなものでした。この時期を大過なく育った人は幸せな人生を送れる人が多いでしょうが、この時期に重大なダメージを受けると、その後の人生が辛く、生きづらいものとなります。

そのことの詳細については追々明らかにしていくつもりです。