藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

「昭和の歌姫」美空ひばり と 藤圭子 の関係

先日、”宇多田ヒカル” と ”圭子の夢は夜ひらく” でググっていたところ、2013年8月23日に書かれた興味深いブログを見つけました。

そのブログの筆者は、元毎日新聞記者、元サンデー毎日編集長という人物で、「藤圭子物語」を執筆するため、藤圭子に取材を行ったといいます。その時期は記事の内容から判断すると、藤圭子が照實氏と結婚する少し前、1981年後半から1982年前半にかけてのいずれかの時点と思われます。

その取材で藤圭子から ”衝撃的事実” を聞かされたといいます。その部分を引用します。

藤さんは「ものごと」を秘密めかして話すのが好きだった。
取材で「衝撃的事実」を二つ知った。
「これは書いても良い。書いて欲しい」と言われた。
真実かどうか分からない。でも、彼女が言うことが、事実だとすれば……そのうち、一つは「日本の宝」のような人物のイメージを一変させることになる。

ここからは私の想像によるものですので、そのつもりでお読みください。

筆者が言う「日本の宝」のような人物といえば、それは芸能界の人であり、さらに絞れば、それは歌謡界の人物でしょう。となれば「日本の宝」のような人物とは、それは歌手としては唯一人、国民栄誉賞を贈られた「美空ひばり」であることは容易に分かります。

その美空ひばりのイメージを一変させることを藤圭子が語り、そしてその事実を「書いて欲しい」と言われたといいます。

ここまで読んで勘のいい人、事情に詳しい人はすぐにピンときたと思います。

藤圭子が語った、美空ひばりの「イメージを一変させる」ほどの「衝撃的事実」とは、「美空ひばりアルコール依存症を患っている」ということでしょう。当時の言い方でいえば「美空ひばりはアル中なのよ」かもしれません。

これはいまだにタブーとなっているようで、公式には美空ひばりの死因は間質性肺炎の増悪とされています。ですが美空ひばりは1987年4月に体調不良で入院していて、その際の病名が「大腿骨骨頭壊死」と「肝硬変」でした。

肝硬変の8割はウイルス性とされていますが、残りの大半はアルコールの長期大量摂取が原因とされています。また大腿骨骨頭壊死の主な原因もアルコールの長期大量摂取とされています。

美空ひばりが大酒飲みだったことはよく知られていますが、公式には1981年以降になって肉親や大切な人を次々と亡くし、その辛さを紛らすために酒を飲むようになったとされています。ですがたかだか5、6年のアルコール大量摂取で肝硬変にまで肝臓が悪くなるはずがありません。

一説には美空ひばりは15歳頃から酒を常飲していたといいます。美空ひばりは若い頃から毎日の飲酒が習慣になっていたのでしょう。

アルコール依存症患者の平均寿命は52歳程度とされています。美空ひばりアルコール依存症のために52歳で早死しています。
患者の平均寿命について

長年、美空ひばりのマネージャーを務めた嘉山登一郎氏は、1990年の著者「お嬢・・・ゴメン。誰も知らない美空ひばり」で、美空ひばりの飲酒について書いています。 

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お嬢は酒を飲むとき、必ずウイスキーから飲みはじめた。それから日本酒に切り替えて、お銚子で二、三本飲んだ。五、六本いくこともあったが、そんなときは顔が真っ青になった。

これが毎晩のように続いた。時刻は夜中の二時、三時になった。当然、お相伴が必要になった。京都にいるときは映画の相手役が呼ばれたが、度重なると、なんのかんの理由をつけて、みんな来なくなった。仕方がないので立ち回りをやる剣(つるぎ)会のメンバーを呼んだが、こちらにも逃げられる始末だった。

そうなると残るのは私だけだった。マネージャーともなると、ほかの人みたいに理由を作って逃げるわけにはいかなかった。

私を相手に飲んでも、お嬢もおもしろくなかったはずだが、だれもいないよりはましらしかった。私はお嬢とママの繰り返しの多い話を、辛抱強く聞いていた。

お嬢は、はた目には口が達者そうに見えた。しかし、実際は自分の胸の内をほとんど明かさない、おとなしい女だった。自己主張の少ない、やさしい女だった。

 (中略)

私が見ていた限りでは、初めのころのお嬢の酒は、気持ちよく酔って、明日へ備える活力の酒だった。

それがいつの間にか、口には出せない悩みや苦しみを紛らす、苦い酒になっていた。

そして、最後は、悩みや苦しみを超えて、人生そのものを見据えるような、そんな酒になった。

夜中の二時、三時まで毎晩のように飲んでいたら、誰だってアルコール依存症まっしぐらです。マネージャーだった嘉山登一郎氏は、美空ひばり休肝日を設けるようお願いしなかったのでしょうか。美空ひばりの場合は、それだけ飲んでも仕事に影響が出なかったことで、止めようとする動機が生じなかったのかもしれません。

アルコール依存症は立派な精神疾患であり、極めて死亡率の高い「精神の病」です。アルコール依存症の治療法は存在せず、本人が依存症であると自覚して、生涯断酒し続ける以外に寛解の見込みはありません。

美空ひばりは断酒することなく、大腿骨骨頭壊死を発症してからは、その痛みを紛らわすためにさらに飲むようになったと言われています。美空ひばりは、命にかかわる状態になるまでアルコールの大量摂取を続けずにはいられなかったのでしょう。

そのことを藤圭子は1981年頃の時点で取材しに来た毎日新聞記者に ”暴露” しています。そのうえそのことを本に書いてほしいとまで言っています。まだ美空ひばりが存命中ですから、当人がアルコール依存症を患っているなどと本には書けるはずがありません。

その部分を引用します。

悩んだ末「藤圭子物語」の執筆を断念した。
書かなかったのが、正解だったと思う。僕にとっては「藤圭子」は荷の重いテーマだった。
正直言って、藤さんは「衝動的」で「不安定な心」の持ち主だったから。

すでに筆者はこの時点で藤圭子が、衝動的で不安定な精神状態だったと言っています。ですが私にとっては、藤圭子がまだ存命中の美空ひばりについて、その当人にとって不名誉となる事実を本に書いて欲しいと、記者に迫っていたことのほうが驚きです。

藤圭子は当初、美空ひばりをライバル視していたフシがありますが、このエピソードから分かるのは、この当時から藤圭子には美空ひばりをリスペクトする気持ちはまったくなかったということです。その逆に美空ひばりを陥れようとする悪意すら感じさせます。

その当時、藤圭子美空ひばりとの間で何があったのか定かではありませんが、藤圭子が一時引退していた1980年のステージで、美空ひばりが「新宿の女」を歌っている動画がYouTubeにあります。美空ひばりはレコードでも「新宿の女」をカバーしています。

美空ひばりの「新宿の女」は、自分自身さえも笑い飛ばしてしまう女性で、藤圭子の「新宿の女」の女性とは対極にあります。

藤圭子美空ひばりをリスペクトしていなかったとすれば、1995年の第301回 乾杯トークソングで、美空ひばりの「みだれ髪」を歌うためにスタジオに現れたとき、およそ場違いなまったくの普段着だったことの説明がつきます。

「みだれ髪」を歌ったときの藤圭子の「身なり」と「しぐさ」は、あたかも「素人がカラオケでちょっと歌ってみました テヘヘ 」というノリだった理由が了解できるというものです。

藤圭子をどこまでも理想化したいのがファン心理というものですが、藤圭子にもいい面もあれば悪い面もある、という事実は否定しないほうがよいと思います。でないと藤圭子は人間でなくなってしまいます。