藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

藤圭子とカラオケを楽しんだ "キャッシー" は 37年前のヨーロッパ旅行も一緒

2013年10月9日に、スポニチアネックスは次の記事を配信しました。


藤圭子さんお別れ会 兄の藤三郎氏も出席

8月に他界した歌手の藤圭子さん(享年62)のお別れ会「さよならの唄―また逢う日まで―」が8日夜、都内のホテルで行われた。

関係者ら約50人が集まり、実兄で歌手の藤三郎氏(63)も姿を見せた。デビュー当時からの友人キャスリン・コネリーさんは「3年前に一緒にカラオケに行ったら、セリーヌ・ディオンをこぶし入りで歌っていた。本当にうまかった」としのんだ。

藤圭子が晩年になっても洋楽を好んでいたことが分かります。セリーヌ・ディオンを、藤圭子がこぶし(モドキ)入りでどう歌ったのか、興味深いです。

この記事で、藤圭子とカラオケを楽しんだキャスリン・コネリーさんは、大下英治著「悲しき歌姫」で、1972年頃から藤圭子に英語を教えていたとされる ”キャッシー” という人です。

2010年に藤圭子がキャスリン・コネリーさんと再会したのは、藤圭子スポニチの圭子番記者である阿部公輔氏に、”キャッシー” に会いたいので捜して欲しいと頼んだからといいます。今現在はそのソースが提示できません。

2006年に藤圭子が、4900万円没収騒動でマスコミに登場してから4年後となる2010年に、藤圭子は再び複数のマスコミにその動静を知られています。藤圭子はその前年、2009年に米当局に没収されていた4900万円を返還されていました。

藤圭子宇多田ヒカルと同じ事務所の副社長でしたが、大下英治著「悲しき歌姫」によれば、2005年末に副社長を退任しています。それ以降、藤圭子には定期的な収入はほぼなかったと思われます。収入があるとすれば、それは藤圭子のCD売り上げによる印税収入だけでしょうが、それは微々たる金額だったでしょう。

週刊文春 2013年9月5日号に ”ベテラン芸能記者” の話として、2007年に照實氏との最後の離婚で、宇多田ヒカルの利権(と親権)を照實氏が手にし、藤圭子はまとまったお金だけを受け取ったとされています。しかし、週刊ポスト2013年9月6日号に掲載された藤圭子の知人の話によれば、最近になって藤圭子から “今はもう2000万円くらいしか持っていない” と聞かされたといいます。

ギャンブル依存は基本的には治ることはありませんから、2009年当時にはおそらく金銭的に逼迫していたであろう藤圭子は、米当局からの4900万円の返還で一息ついたものと思われます。そのことが影響した可能性がありますが、藤圭子は2010年になって活動的になります。藤圭子が、キャスリン・コネリーさんとカラオケを楽しんだというエピソードも、その表れでしょう。

"キャッシー" こと、キャスリン・コネリーさんは、藤圭子が1973年にヨーロッパを旅行した際に一緒についていっています。「流星ひとつ」には、沢木耕太郎がフランスの空港で、藤圭子とキャスリン・コネリーさんに出会った様子が次のように語られています。


… ぼんやり通路の方を眺めてたら、日本人らしい女の子が来たんですね。この野郎、こっちへ来るな、こっちへ来るな、と思ってるのに、どんどんこっちへ近づいてくる。で、何気なく、顔を見たわけですよ。すると、それが、驚くほど幼い、でも整った、人形のような顔をした少女だった。

 (中略)

その子の後にね、もうひとり同じ年格好の少女がいて、この子も色が白くて美しい顔立ちなんだ。さらにその後に中年の男性がいて …


この話での ”もうひとり同じ年格好の少女” という人物が "キャッシー" こと、キャスリン・コネリーさんです。

1973年7月発行の週刊明星の記事を抜粋して引用します。なお、ここでは当時の記述を尊重し、そのまま掲載しています。


藤圭子と混血キャシーのヘンな関係  ”演歌の星” が朝から晩まで英語ペラペラ…

6歳年下の混血娘キャシー(15歳)とヨーロッパ旅行を敢行しようと張り切っている藤圭子だが、果たして彼女のヘンな英語が通じるのか? 珍道中の無事を祈りつつ、旅立ちの2人を偵察してみると…

キャシーの猛特訓でものすごい上達ぶり…

「ハウ・アーユー・おお、ユールック・ベリベリ・ファインね。サンキュー・アイム・クワイトウェル、じゃバイバイ」

このところ会う人ごとに奇妙キテレツな?英語をかませ、相手をビックリさせているのが藤圭子。日本情緒たっぷり、”演歌の星” といわれる圭子タンが英語をあやつるとは、なんとも奇妙なはなしだが、それにはふかーいワケがあった。

7月25日から10日間の予定でヨーロッパ旅行をする彼女、それに備えて英会話の猛勉強中だが、覚えた英語の復習を兼ねて、当たるを幸い実地練習をしているというわけなのだ。

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1973年当時の藤圭子とキャシー(左)

… それにしても妹同然のキャシーと、おんな2人、なぜヨーロッパくんだりまで行くのだろう。日ごろ無口で控えめな彼女からは。とうてい想像もできない ”冒険旅行” と思えてならない。なぜ? と聞いたとたんに彼女の長いまつげがしばたたいた。

「だれがみても私はいまスランプ状態、私自身もよくわかっています。プライベートなことでいろいろなことが起き、それが迷いのもとになっていたとようやく気がついたんです。この際、仕事の上でもすっぱりと割り切り、演歌一すじでやり直そうと思ったんです。今度の旅行は、そうした決意を私自身でたしかめてみたかった。それにはできるだけ日本から離れたところのほうがいいと思って、ヨーロッパを選びました」

 (中略)

ーー こんなナイス・イングリッシュをいったい誰が教えたのか。もちろん同行のキャシーだ。彼女は日米の混血児だが、以前からモーレツな圭子タン・ファン。それが縁になって2人は急接近。1年くらい前からは成城にあるキャシーの家に圭子タンが遊びに行くなどして、いっそう親密の度合いは深まっていた。とかく孤独になりがちな彼女が、今回のヨーロッパ行きを思い立ったとたん「キャシーと2人だけで行くわ」といい出したのも、ふたりが無二の親友であったため。いや、それ以外にもう一つ、日本語と英語を自由自在に使い分けるキャシーの存在は、楽しみにしている現地でのショッピングで、きっと役立つにちがいないとの計算が多少あったのかもーー


この記事では、藤圭子が英語を学び始めたことを面白おかしく報じています。英語を学ぶようになった理由を、ヨーロッパ旅行のためとしていますが、本当の理由が米国でロックを歌うためであることは、以前の記事で指摘した通りです。

演歌を歌っていた藤圭子が、まさか米国でロックを歌いたいと思っていたとは、藤圭子とごく近しい少数の人しか知らなかったことでしょう。