藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

曽根幸明いわく ”トンビが鷹を産んだ” 藤圭子と宇多田ヒカルの関係

曽根幸明が著書「曽根幸明の昭和芸能放浪記」を出版したのは2007年7月です。曽根幸明はこのとき73歳。2002年に脳梗塞で半身不随となりますが、その後も作曲活動を続け、同書の出版時は日本歌謡芸術協会会長を務めています。2017年4月に83歳で亡くなっています。

同書には1970年7月にリリースされた「命預けます」が生まれた経緯が書かれています。以下は同書からの引用です。


次に出たシングルが『命預けます』。この歌は、私と作詞の石坂まさを、それに榎本襄ディレクターの三人で新宿を飲み歩き、ふと立ち寄ったサウナで生まれました。

「貴重品があったらお預かりします」

入口のカウンターで受付嬢にこう言われ、ポケットが軽い石坂が答えます。

「貴重品なんか何もないよ。なんなら命預けようか?」

「それだ!」

この言葉に三人はすぐに反応し、合意したのでした。

この歌、石坂が作詞・作曲で私が編曲ということになっていますが、ある意味では三人の合作とも言えます。歌詞に「夜の新宿 花園で」と出てくるのも、サウナがあった場所だからです。


RCAディレクターだった榎本襄氏は、CD-BOX「藤圭子劇場」のWebサイトで、当時、藤圭子ファンを裏切る行為があった述べ、一連のヒット曲の後に、あの任侠もの(命預けます)を出したことを悔いています。

サウナで合意したときは、まさか石坂まさをが任侠ものを出すとは思っていなかったのでしょう。「命預けます」は50万枚近い売り上げがあり、人気が失速した引き金になったとは考えにくいですが、ファン層を分断する結果とはなったのかもしれません。

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曽根幸明の昭和芸能放浪記」の表紙

さて、話は変わって曽根幸明藤圭子宇多田ヒカルについて書いていることを取り上げることにします。

曽根幸明は同書で藤圭子について "私の人生を変えた歌姫" というタイトルで、6ページに渡って書いています。それには上の「命預けます」のエピソードも含まれていますが。

そこでの本記事のタイトルに関係する部分を引用します。


その名が突然甦ったのは、娘宇多田ヒカルの出現でした。1998年に登場して以来記録的なヒットを連発し、たちまちトップアーティストに昇りつめたのは周知のとおりです。

その音感や声の良さは、デビュー当時からの藤圭子を知る者にとっては、まさに「鳶が鷹を生んだ」ということなのです。


私はここを読んだとき、ちょっとそれは言いすぎじゃないか、と思ったものです。これが藤圭子ファンのバイアスなのでしょう。確かに宇多田ヒカルは大ヒットを連発したが、藤圭子もかなり優秀なんじゃないかと…。

曽根幸明はプロの作曲家ですから、宇多田ヒカルの ”音感” が、藤圭子の ”音感” よりもはるかに優れているという趣旨を述べていることについては事実なのでしょう。

音感とは、楽音についての音程、和声,調性,リズムなどの感覚を指すとされています。藤圭子が歌っていたのは歌謡曲であり、デビュー当時の宇多田ヒカルの楽曲は R&B に分類される音楽ですから、要求される音感のレベルも違って当然です。

藤圭子は作詞家・作曲家が作った曲を歌っただけですが、宇多田ヒカルは作詞・作曲はもちろん、編曲もオーケストレーションまで含めて、自分一人で行なっています。音楽的才能という点では、宇多田ヒカル藤圭子の何倍も上だということは、事実として認めざるを得ません。

1970年当時、19歳の藤圭子の人気は社会現象と呼ぶにふさわしいですが、1999年当時、16歳の宇多田ヒカルの人気も社会現象となりました。人気の点でも、宇多田ヒカルの人気は、当時の藤圭子の人気を凌いでいます。

藤圭子は1970年の1年間のみ大人気を獲得しただけですが、宇多田ヒカルは1998年のデビューから2010年に一時活動休止するまでの間に5枚のアルバムをリリースし、そのすべてが100万枚を超えるミリオンヒットを記録し、1枚目から3枚目までは300万枚を超えています。

特にファーストアルバムは800万枚に達し、当時、日本人の10人に1人が宇多田ヒカルのアルバムを買ったとさえ言われたものです。この記録は歴代1位であり、これから先も破られることはないであろうと思われます。

宇多田ヒカルの登場によって日本の音楽シーンは様変わりしました。日本で R&B が一般的になったことは、宇多田ヒカルの功績といえるでしょう。宇多田ヒカルの登場によって、それまで日本で人気を集めていた音楽を古臭く感じるようになった人も多いのではないかと思います。

藤圭子がやったのは ”芸能” ですが、宇多田ヒカルがやったのは ”芸術” と言ってもいいでしょう。

芸能と芸術で何が違うかといえば、芸能は既存の価値を守りつつ維持発展させるのであるのに対し、芸術はそれまでになかった新しい価値の創造です。どちらにもその作品を鑑賞する人のいることが前提となります。

2018年7月16日にNHKの番組で、宇多田ヒカルが曲作りをしている様子が公開されました。いまでは歌手のことを ”アーティスト” と呼ぶことが普通になっていますが、真のアーティストと呼べるのは、宇多田ヒカルを始めとしてごくわずかです。

藤圭子は2010年頃に、スポニチの圭子番記者である阿部公輔記者に「彼女は天才。私よりずっとずっと凄いんです」と宇多田ヒカルのことを話しており、宇多田ヒカルを尊敬しています。それは藤圭子の本音であったろうと思います。