藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

"あたし" と "わたし" で揺れ動く「新宿の女」

「新宿の女」は藤圭子のデビュー曲ですが、この歌唱でも藤圭子石坂まさをが作曲した楽譜を無視して歌っています。曲の出だしは楽譜上、上昇音階が2回連続し、一旦下降して再び上昇音階が2回連続します。楽譜のメロディからは少しリズミカルな印象を受けますが、藤圭子は独特の凄みの効いた歌いまわし方で、リズミカルさは跡形もなく、全く違った印象の曲に変えてしまっています。

デビュー当時、藤圭子は楽譜が読めないと話していたといいますが、それまでに流しをしており、客のリクエストに答えるために少なくとも100曲以上はギターのコードも含めて暗記していたはずです。それが可能となるには楽譜が読めなければなりません。覚えたい曲がラジオからいつでも流れているという訳ではないからです。

頭の良かった藤圭子が楽譜が読めないはずがありません。楽譜が読めないといったのは、楽譜を無視した歌いまわし方を周囲に納得させるための方便なのでしょう。

とまぁここまでは前置きで、本題はこれからです。「新宿の女」には ”私” という歌詞が3回出てきます。

1番の ♪私が男になれたなら 私は女を捨てないわ と3番の ♪ポイとビールの栓のよに 私を見捨てた人なのに です。

この ”私” には ”あたし” と ”わたし” という2種類の歌い方があります。「新宿の女」のレコードでは、1番が ”あたし”、3番が ”わたし” となっています。ステージでの歌唱もほとんどがレコードと同じ歌い分けをしています。ですが、この歌い分けが違っているステージがあります。どのステージでも3番の ”わたし” は変わることがありません。しかし、1番の ”あたし” を ”わたし” と歌っているステージがあるのです。

放送年が不明ですが、比較的初期のステージと思われる次の動画では奇妙な歌い分けをしています。


藤圭子♥新宿の女(動画)

1番の最初を ”わたし” と歌い、次を ”あたし” と歌っています。どうしてこういう歌い分けをしたのか。意図的にそういう歌い分けをしたとは考えにくく、そうしなければならない理由がありそうにないです。このステージでは中学時代の初恋の人が同席していたので、いつもとは勝手が違ったのでしょう。プロの歌手としては不名誉なことですが、単純に歌詞を間違えたものと思われます。

これはステージですが、レコードで歌詞を間違えてそのまま出荷されたものが何曲かあります。これまでに分かっているものには「緋牡丹博徒」と「長崎の女」があります。この歌詞の違いは歌詞全体の流れとは明確に齟齬のある違いとなっていて、明らかに間違いです。藤圭子は歌詞を暗記してレコーディングに臨んでいたとのことですが、こうしたミスもプロらしくありません。

次の動画は1977年7月のステージです。「新宿の女」は2:50頃から始まります。


藤圭子長島ライブ’77.7(1)

1回目は ”あたし” か ”わたし” かは聞き取りにくいですが、2回目ははっきり ”わたし” と歌っています。これも歌詞を間違えたのでしょうか。

「流星ひとつ」で1977年の一時期、藤圭子に健忘のような症状が現れ「舞台に立つと、突然忘れてしまうんだ。それは〈新宿の女〉だろうが〈圭子の夢は夜ひらく〉だろうが、おかまいなく、急にやってくるわけ」と話しています。この動画のステージでの歌詞は、そうした不安定な精神状態が原因の可能性があります。

次の動画は1979年の10周年日劇でのステージです。


藤圭子 新宿の女 日劇ライブより

これも1回目が聞き取りにくいのですが、2回目は ”わたし” と歌っています。

おなじく「流星ひとつ」で、この10周年のステージでは1977年のときよりもさらに精神状態が不安定となり、舞台恐怖症みたいになって、舞台にどうしても上がりたくなくて大声で泣き叫んだと話しており、この当時、藤圭子は巨人軍の小林繁投手との不倫関係が破綻し、夜になると死ぬことが、じわっと頭の中に入ってくるようになったとも話しています。

このステージで ”あたし” を ”わたし” と間違えたのは、そうした深刻な精神的不安定の影響だとも考えられます。

「新宿の女」の作詞は石坂まさをですが、石坂まさをが作詞した歌詞はどうなっているでしょうか。歌詞では ”私” となっていても、楽譜上は基本的に1つの音符に歌詞の1文字を割り当てる必要があるので、読みがどうなっているかが分かります。その1番の楽譜を次に示します。

f:id:intron123:20180827005325p:plain

「新宿の女」の楽譜

これから分かるように、楽譜上は ”あたし” ではなく ”わたし” となっています。

楽譜で ”わたし” となっている箇所を ”あたし” に変えて歌ったのは、藤圭子がそう歌いたかったということなのでしょう。なぜ藤圭子がそう歌いたかったのかを推測すると、1番の歌詞が ♪私が男になれたなら 私は女を捨てないわ となっており、男性になれる ”私” が女性であることを強調したかったので ”あたし” という女言葉を使ったのだと思われます。

藤圭子は「新宿の女」で、歌いまわし方だけではなく、歌詞も自分の歌いたいように変えて歌ったことになります。

ちなみにレコードで「新宿の女」をカバーしている歌手は分かっている範囲では、美空ひばり細川たかし、宮史郎とぴんからトリオの3組ですが、その歌唱では全員が楽譜通りに ”わたし” と歌っています。

オリジナルを歌っている藤圭子だけが、楽譜と違う歌詞で歌っているのは通常では考えられないことです。

藤圭子がそう歌いたいというのなら、藤圭子は作詞した石坂まさをにお願いして歌詞を直してもらい、楽譜の歌詞の通りの歌唱となるようにしなければならないはずです。

もしも、もうレコードの冊子を印刷してしまっていて、直せないというのであれば、藤圭子が折れて楽譜通りに ”わたし” と歌うようにする、ということがプロの歌手として藤圭子のとるべき対応の仕方でしょう。

結局、そのどちらも行われることなく、楽譜の歌詞と歌唱が合わないという結果となってしまいました。これは藤圭子が強引に自分の意志を押し通したのだと思います。石坂まさをがそれを承知していたのかは分かりませんが。

それにしても十数はあったステージ音源やアルバム音源を聞いてみて、”あたし” を ”わたし” と歌っていたのが「流星ひとつ」で藤圭子が、精神的に不安定だったと言っていた、1977年のステージと1979年の10周年記念日劇の2つのステージのみだったのは、それぞれのステージが複数回公演されていたことも考え合わせるとあまりにも偶然の一致すぎて奇妙に思えてきます。

もしかすると間違えたのではなく、精神的に不安定だったそれらのステージでは、最初から本来の歌詞通りに歌おうと決めていたのかもしれません。