藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

難曲「麗人」を藤圭子はどう歌ったか

「麗人」という曲は、1946年の映画「麗人」の主題歌です。1974年に開催された第1回広島平和音楽祭でこの曲を藤圭子が歌っています。「麗人」は沢田研二の歌が有名ですが、それとは全く異なる曲です。

映画「麗人」は「白蓮事件」で有名となった女性歌人柳原白蓮の半生を参考としていますが、ストーリーはかなり異なっています。

主人公の菊小路圭子は恋人の田澤進一が労働争議で検挙されてしまい、事情を知らない圭子は婚約を破棄されたと思い込み、自身の出身である没落華族の窮状を救うため、我が身を犠牲にして大富豪の井坂伝助の許に嫁いで行きます。伝助は金にモノを言わせて他の女に手を出す人物であり、圭子は豪華な籠の鳥に飼われているような日々を送ります。ある日、伝助が経営する伊坂鉄工所で労働争議が起こり、その組合運動にかつて圭子の恋人だった田澤進一が加わり、闘争を主導するようになります。圭子は進一の真意を理解し、伝助の下を飛び出し、進一とともに戦いに加わります。映画は圭子が多くの民衆と共に資本家との戦いに立ち上がるところで終わります。

1946年という時代背景が色濃く反映された作品です。「麗人」という曲は作詞が西條八十で1番から4番までありますが、1番から3番までは、好きな思いを告げることができない、抑圧に甘んじているか弱い女性が描かれており、4番で初めて古い因習から脱却しようとする強い女性が描かれています。歌手がステージで歌う場合は2番と4番を歌うことが多いようです。

添付の楽譜でわかるように古賀政男の作曲では、普通は歌手個人に任されている歌い回し方まで音符で指定しています。1音の発声で最高5個の音符が付いているものがあり、4個の音符が付いているものならいくつもあります。音程が上下に唐突に変化し、曲の複雑さでいえば難曲と言われる「影を慕いて」や「みだれ髪」の楽譜は「麗人」と比較すれば童謡のように単純です。

「麗人の歌」の楽譜(部分)

「麗人の歌」の楽譜

この複雑な音符に忠実に歌うと、歌に心地よい揺らぎが生まれ、豊かな情感が感じられるようになります。

この曲を歌っているのは霧島昇です。2番、3番、4番を歌っています。テンポは ♩= 86です。


東宝映画「麗人」麗人の歌 霧島昇/西條八十 作詞/古賀政男 作曲【映画主題歌 レコード】

霧島昇の歌唱は音大の声楽家出身者らしく、楽譜の音符で細かく指定されている歌い回しをほぼ忠実に再現しています。歌い方が実にソフトで脱力しきっており、力んだところが全くなく、女性らしい優しい感じがよく表現されています。ただし、古い作曲なので、霧島昇の歌唱は現在ではいささか古さを感じます。

この曲を藤圭子はどのように歌ったでしょうか。テンポは ♩= 80で霧島昇よりも少しゆっくりです。


藤圭子 広島平和音楽祭 麗人の歌

藤圭子の歌唱では「弱い女性」という感じは全くありません。1番で「みんな泣いてる ああ 人ばかり」という歌詞がありますが、聴いていてその歌詞で、道行く人々に投影している主人公の哀しみの感情が、藤圭子の歌唱からは感じられません。

どうしてそういうことになるかと言えば、藤圭子の声質があまりにも力感やエネルギー感に溢れているからです。それに輪をかけて藤圭子は力んだ歌い方をしています。何故そこまで力んで歌うのか。ここはぐっと力を抜いて優しく歌わなければならないところです。

藤圭子は持って生まれた声質のせいで、女性らしい細やかさや優しさが要求される曲をうまく歌うことができないのです。この点はデビュー前のオーディションでも欠点として指摘されていたことです。朗々と歌い上げるスケール感の大きな歌なら得意です。男歌なら大抵は得意でしょう。ですが女歌、中でも繊細な女性らしさを表現することは苦手でした。

このステージでは作曲者の古賀政男が目の前にいますから、うまく歌おうという思いが強すぎて力んでしまったせいもあるでしょう。古賀政男からどう評価されるかが気になってしょうがなかったのだと思います。

大川栄策古賀政男の最後の内弟子であり、古賀政男から箸の上げ下げも含めて厳しい指導を受けたといいます。彼も「麗人の歌」を歌っています。テンポは ♩= 70でとてもゆっくりです。


oEDZ02 麗人の歌 大川栄策 150102 vL HD

大川栄策の歌唱は実に優しい歌い方です。女歌を優しくソフトに歌い上げています。こぶし(モドキ)を使って情感もたっぷりあります。藤圭子の歌唱とはあまりにも違いすぎます。私なら大川栄策の歌唱の方が断然いいと感じます。