藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

切っても切れない藤圭子と暴力団とのつながり

写真の藤圭子が右手にかざしている1万円札5枚は、1980年代半ばから極悪ヤミ金業者として社会的批判を浴びていた日本百貨通信販売の杉浦治夫社長からの "おひねり" です。隣の男性は広域指定暴力団・極東会の松山眞一会長です。

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時期は宇多田ヒカルがデビューする直前の1998年11月13日。場所は東京・池袋のセレモニーホール「東方会館」。

週刊文春2003年1月16日号から抜粋して引用します。


「東方会館」では、約四百人収容する宴会場がほぼ満席となった。

「ディナーショー形式のパーティで、メインは東映のヤクザ映画の常連だった俳優の岡崎二朗さんでした。『男の道』や『同期の桜』など十曲ほど歌い、殺陣のシーンも演じました。

特別ゲストとして藤圭子さんも出演し、もちろん『圭子の夢は夜ひらく』も歌いました。ただ、いつものような直立不動の姿勢でなく、ポップ調にアレンジして踊りながら歌っていました。娘の宇多田ヒカルの影響なのかもしれないけど、あんな風にしなければいいのになって思ったのを覚えています」(パーティー参加者の一人)

それだけなら何の変哲もないディナーショーなのだが、会場に極東会の松山眞一会長が姿を見せると、場内は騒然となったという。

「松山会長が現れた時は本当にビックリしました。一眼でそれとわかる屈強そうな男たち十数人を引き連れて会場に入ってくると、どこかの席から『あっ、松山会長だ』と声があがったんです。松山会長が通りかかると、丸テーブルについた人たちは一斉に立ち上がって深々とお辞儀をするので、事情のわからない一般のお客さんもつられて起立していましたね。

そういえば、会場には松山会長の名前で大きな花輪も出ていましたね。ショーが始まると松山会長はじっと聞き入っていました」(同前)

極東会は東京・池袋に本部を置き、勢力範囲は一都一道十三県に及ぶ。構成員は約千五百人で、テキヤ系では最大の広域暴力団である(警察資料)。

「九十三年七月には山口組系山健組との間で抗争事件を起こしています。公安当局は同時期に極東会を暴力団対策法による指定団体にしたのです」(暴力団に詳しいジャーナリスト)

さらにパーティー会場の人海を嬉々として泳ぎまわる怪人物がいた。日本百貨通信販売の杉山治夫社長である。「悪徳金融業者」「残酷取立て王」と言われ、腎臓売買もビジネスにしたいわくつきの人物だ。あまりに過激な銭ゲバぶりに、債務者ばかりか視聴者や読者からも憎悪の的になっていた。

「おひねりのつもりなのでしょうか。彼(杉山会長)はショーの最中にステージに何度となく駆け寄り、割り箸に四、五万円の現金を挟んで出演者に渡していましたよ」(別の参加者)

このパーティーの主催者は、池袋にある会社のオーナー会長で、山瀬晃氏(仮名)という人物である。パーティーの件を聞くと、困惑しながらも話してくれた。

「私は亡くなった浪曲玉川良一先生とおつきあいさせて頂いただいていまして、先生のお弟子さんが岡崎二朗さんでした。あのパーティーは岡崎さんのために開いたものです。藤圭子さんは岡崎さんが呼んだと思います。

松山会長とは昔、自宅近くの不動産屋さんの紹介で会いました。池袋にはいろんな組事務所があります。芸能人のパーティーをやれば、妨害行為がないとも限らない。松山会長に来て頂ければ、どこからも文句は出ないだろうと思ったのです。

杉山は別のパーティーで、お客さんが連れてきて紹介されたと思います」


暴力団の資金源を断つ弾圧立法の成立で近年では少なくなりましたが、1980年代末頃まで芸能界・芸能人と暴力団、ヤクザとは密接な関係がありました。

興行から得られた利益の一部が暴力団の資金源となっていたこと、芸能人が興行を行う演芸場などは地元の暴力団が押さえていることが多く、興行を行うためにはその暴力団と良好な関係を保つ必要があったこと、トラブル解決のために暴力団の力を借りる芸能人が少なくなかったこと、などが、芸能界・芸能人と暴力団とが密接な関係を保っていた理由です。

2011年8月、人気タレントだった島田紳助が、山口組極心連合会幹部との親密な交際を理由に、芸能界からの引退を発表しました。暴力団幹部と関係をもつようになったのは、テレビでの発言で右翼団体に抗議され、知人を介して同幹部に解決を依頼してからといいます。

藤圭子は長年ドサ回りをしていますが、大物演歌歌手であったため、ドサ回りで付き合いのある暴力団も影響力の大きい組織だったものと思われます。

同じことはデビュー当時のマネージャー、事務所を運営していた石坂まさをにも当てはまります。石坂まさをの知人の一人は、石坂まさをから自民党の大物政治家などのほかに、何人かのヤクザと感じた人物を紹介されたといいます。

藤圭子の才能を最初に見出し、キングレコードと契約させた渡邉正次郎によれば、時期は定かではありませんが、著書「芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが好き」で次のエピソードを語っています。


母親と石坂は何を考えたのかは知らぬが、広域暴力団山口組」の武闘派の親分と東京近県の某ホテルで密会させていたのだ。

夜の世界、キャバレーやクラブで歌うことの多い演歌歌手とは切っても切れない関係にある。

この四人の食事は、一部のマスコミが小さく写真報道していたが、その続報はなかった。が、暴力団社会に少しだけ(?)詳しい私は、「石坂と母親はとんでもないことをしている」と直感した。

名の知れた広域暴力団の親分と密会などあってはならないこと。それが数百億円も持つという親分と人知れず遇う…。

「金の援助と引き換え…」

の恐ろしい話だ。だが、彼らの生きざまに口を出す必要もないから傍観しているだけだった。


当時の多くの演歌歌手と同様、藤圭子暴力団と切っても切れない関係にありました。このことが、藤圭子宇多田ヒカルデビュー後に藤圭子を「封印」したことに関わってくるのですが、それについては別の記事で言及することにします。