藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

カトリックの信仰を終生持ち続けた藤圭子

藤圭子の言葉にはしばしば「神様」という言葉が登場します。

別に信仰している宗教はありませんが、神様はいると信じていますし、いつも神に感謝する心を持ち続けています。(1970年5月頃)
1970年明星6月号

この世界で三年間のブランクは大きいが「別に気にはしません。私の曲をみなさんが受け入れて下さったら、また、息長く歌っていけるんだから…」その時その時の節目は神様のおぼしめしだと思う‐とも。1984年11月)
藤さん 出産直後「かわいいでしょ」

母親藤圭子はそんな娘を天才と信じ、尊敬さえしている。
「神さまが授けてくれたんです。私はただ私のお腹を、その大きな力に貸しただけだと思う」
とまで言い切ってしまうのだ。(2000年頃)
スポニチ圭子番記者 小西良太郎著「女たちの流行歌(はやりうた)」より

「私はラッキーだと思っている。神様に助けられて。目は治らないけどね」と目の障害を告白したり。(2006年)
藤圭子さん“自殺の闇” 謎の同居男性、不可解な結婚離婚、奇妙な行動

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1970年3月のファーストアルバム「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」のジャケット写真では、左手首に小型のロザリオを下げています。“演歌の星”というアルバムタイトルとロザリオは、本来は似つかわしくないので、これは藤圭子が自らの意思で身に付けたものでしょう。

藤圭子はデビュー後間もなく石坂まさをに "アメリカ人になりたい" と話しています。1971年頃にはキャッシーというニックネームのハーフの子と友達になり、その子を相手に英語を学ぶようになります。前川清との結婚中には前川清に "アメリカに行きたい" とも言っています。

当時の藤圭子にとってアメリカで生きるということは、過去の苦い思い出の多い日本を振り捨てて、新しく生まれ変わるほどの意味を持つものだったのでしょう。

藤圭子は米国でロック歌手になりたいために英語を学び始めたということを示唆する言説もあります。大下英治著「悲しき歌姫」には、初期のマネージャーだった成田忠幸氏に、藤圭子が「いつかアメリカに行きたい」と話していて、成田氏は藤圭子が米国でロックを歌いたいのだろうと感じたとあります。

藤圭子カトリックの信仰を持つに至るきっかけには、同じRCAキリスト教徒の前川清からの影響が考えられそうですが、藤圭子RCAに入った1969年9月から、このアルバムジャケットの撮影まで5ヶ月ほどしかありません。

1969年9月のデビュー曲「新宿の女」のシングルジャケットは、ファーストアルバム「新宿の女」の撮影と同じ時に撮影されたものと思われます。藤圭子の服装や背景が酷似しているからです。

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このことから、藤圭子前川清の影響でカトリックの信仰を持つようになったのではないことが分かります。

デビューする前に石坂まさをは、藤圭子を連れて星野哲郎に作詞を依頼しています。そこで藤圭子は何曲か歌っていますが、その中に1968年2月に発売されていた星野哲郎作詞の「叱らないで」という青山ミチの曲がありました。

その歌詞は、聖母マリアに罪の赦しを切々と請う内容で、3番の歌詞は次の通りです。

 あの娘の涙は うそじゃない
 うそで泣くほど すれちゃない
 どうぞ あの娘を 叱らないで
 なにも言わずに 十字架の
 そばへあの娘の 手をひいて
 叱らないで 叱らないで マリヤさま

大下英治著「悲しき歌姫」によれば、藤圭子は何曲か歌ったその最初にこの「叱らないで」を歌ったといいます。「叱らないで」はオリコン最高67位で売り上げは3万枚足らずでした。星野哲郎には当時すでに演歌の大ヒット曲がいくつもありますから、その中で「叱らないで」を最初に歌ったのには藤圭子にこの曲への特別な思いがあったのでしょう。

藤圭子はこの曲の歌詞に強く共感した可能性があります。ロザリオは聖母マリアへの祈りを唱える際に使うもので、「叱らないで」がカトリックの信仰を持つきっかけになったと考えられなくはありません。

藤圭子は普通の日本人とは異なり、アメリカ人と同じようにカトリックの信仰を終生持ち続けていました。