藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

藤圭子は地声と声色をどのように使い分けたか

藤圭子はおそらく最も多く声色でオリジナル曲を歌った歌手といえるでしょう。

オリジナル曲を何曲か聴いたところ、声色の使い方にあるパターンがあることに気づきました。

それには曲の2つの側面が関係しています。

その側面とは、曲が歌謡曲系なのか演歌系なのかという側面と、曲が明るいのか暗いのかという側面です。

藤圭子は1979年に一度引退するまでに35曲のシングル曲を発表していますが、それらの曲について2つの側面がどちらなのかということと、曲を地声か声色のどちらで歌っているのかを調べた一覧表を次に示します。

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この表で声色、歌謡曲系、明るいの欄に◉印がついている曲は、その曲がそれぞれ該当していることを示します。

ここでの評価はレコード音源を基にしていることに注意してください。レコードでは声色で録音していても、YouTubeなどにUpされているステージ動画では、地声で歌っている場合が多くあります。例えば、哀愁酒場はステージ動画では地声で歌っていますが、レコードでは極端な声色で歌っていて、誰が歌っているか知らないで聞いたら、藤圭子が歌っていると分かる人はほとんどいないでしょう。

〇印の曲はどちらとも分類しがたいことを意味します。例えば「京都から博多まで」は楽譜上では歌謡曲系ですが、藤圭子の歌いまわしが楽譜を無視した演歌系の歌いまわしとなっているので中間的な位置づけにしています。

デビュー後から2年ほどは演歌系の曲ばかりでしたが、その後は歌謡曲系の曲ばかりが1年半続き、その後は演歌系の曲が多くを占めるようになっています。

前半は暗い曲が多かったのですが、後半になるとそうした曲は少なくなっています。

こうした変化の推移は、藤圭子でヒットが出せる曲をさぐり当てるための試行錯誤のように思えます。

地声で歌うか声色で歌うかの選択は、次の順番(論理)で決定されているようです。

1.明るい曲であれば声色で歌う
2.歌謡曲系であれば声色で歌う
3.地声で歌う

藤圭子は演歌系で暗い曲の場合のみ地声で歌っています。

ただし、〇印があるように判定が微妙な曲があり、解釈の仕方によっては必ずしもここで示した論理に沿っていないケースもあり得ます。またここでは取り上げていないカバー曲の中にはこの論理に沿っていない曲もあります。

例えば、カバー曲に「唐獅子牡丹」がありますが、この曲は演歌系で暗いですが、藤圭子は声色で歌っています。この場合の声色は喉から絞り出すような独特の声色で、より凄みの出た歌唱にするために特別な声色を使っているようです。同じことは「釜ヶ崎人生」にも当てはまります。

地声で歌っているようでいてそうでない曲もあります。「聞いてください私の人生」の歌唱は地声のように聞こえますが、地声とは異なっていて、喉を絞った声色で歌っています。苦難に打ち勝つ力強さや生きていく覚悟などをそうした声色で表現しようとしたものと思われます。

「圭子の夢は夜ひらく」は地声で歌ったことにしてありますが、正確にいえば6番まであるうちの1番だけは声色で歌っています。特に1番の1フレーズ目は幼子のような甘い声色で歌っています。

興味深いことに歌謡曲系で明るい曲が見当たりません。明る過ぎて藤圭子のキャラクターには合わないと考えられていたのでしょうか。実験的なアルバム「圭子のにっぽんひとりあるき」の「妻籠の宿」はフォーク系で明るい曲であり、声色で歌っているので上の論理に沿っているといえます。

シングル曲に限れば、おおよその傾向として、地声で歌っている時期、声色で歌っている時期が交互に繰り返されています。特に1975年の半ば以降はほとんどが声色で歌った曲で占められています。

藤圭子の地声には暗い響きがあり、そのままでは明るい曲と合いません。またその地声には力感やエネルギー感が備わっているため、暗い曲であっても歌謡曲系やポップス系の曲ではエネルギーがありすぎて、これも合いません。地声では繊細に歌えないのです。

藤圭子の地声が生かせる曲とは、思い切り凄みを効かせた暗い演歌か、それともパワーが必要とされるロックと歌謡曲が合体したロック歌謡でしょう。