藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

引退後1年半余りでの早期の歌手復帰へのバッシング

この動画なんですが、藤圭子が歌手に復帰した1981年の動画です。


オマケ  泣くぞ・・・★

最初見たとき、なんで泣いてんのかなぁ、と不思議だったのですが、動画のコメントを読むと、復帰後最初のステージ(NHK)だったようですね。

復帰にあたっては相当バッシングがあったようです。水前寺清子からの温かい励ましが、余程うれしかったのでしょう。

当時、引退後1年半余りでの藤圭子の復帰を批判する記事を書いた芸能記者の本多圭氏は、営業で立川のキャバレーに居た藤圭子に呼び出されて厳しく叱責されています。

筆者は藤さんが電撃引退して、2年足らずで復帰した姿勢について批判する記事を書いたことがあった。その記事に激怒した藤さんは、営業先だった立川市のキャバレーに筆者を呼びつけて、芸能界への恨みつらみを延々語り、深夜まで帰してくれなかったという苦い思い出がある。

ここで藤さんは、石坂さんに、金銭面でも労働面でも過酷さを強いられ、そこから逃げる意味もあって、電撃引退したようなことを話していた。

だが、復帰後の藤さんもその状況に満足しているようではなく、被害者意識が強かったような気がする。当時から、藤さんは芸能界というもの自体に怨念を持っていたのかもしれない。

石坂まさをは、藤圭子を自らの所有物のように扱ったフシがあります。石坂まさをは、デビュー前から1975年まで、藤プロダクションの運営者として、大歌手・藤圭子誕生の最大の立役者ではありますが、その"マネージメント"は、藤圭子の立場に立って行われていたとは言い難いものです。

後年になって、藤圭子石坂まさをのことを「この世で一番、憎んでいるのは母親と石坂まさを」と述べている理由がわかる気がします。このことについては別途取り上げる予定です。