藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

藤圭子が声色で録音した曲とは

「声色」という言葉にはモノマネという意味もありますが、ここでは声色とは声の音色であり、楽器ごとに異なる音色と同じ意味で用いることにします。つまり各人が固有の声色を持っているという意味です。

音大の声楽科出身者なら誰でも声色を自由に操ることができるといいます。声楽科出身の友人とカラオケに行ったら、その友人が声色を取っ替え引っ替えして何人もの歌手のモノマネをするので歌えなくなったという逸話がネットにあります。

藤圭子はレコード会社のオーディションになかなか合格せず、2年ほどは歌唱のレッスンを行っている時期がありました。その間のレッスンでは当然声色のコントロールも含まれていたはずです。ですので藤圭子が声色を自由自在に操ることができても不思議ではありません。

藤圭子がモノマネをしている動画があるので聴いてみましょう。


藤圭子 金井克子・今陽子・美空ひばり のモノマネ

まさに声色を取っ替え引っ替えして金井克子今陽子美空ひばりのモノマネをしています。特に今陽子の「涙の季節」はそっくりです。藤圭子は声色を自由自在に操ることができたと言えるでしょう。

声色を変えるのは、喉の奥の周囲の広げ方、前後へのずらし、上下へのずらしで行うとされています。これは「アタリ」と呼ばれ、この違いによって各人の声色が違ってきます。ですので藤圭子のようにモノマネが上手い人は、マネする対象の人のアタリの広がり具合や位置を把握することが得意な人ということができます。

声色を自由自在に操ることができた藤圭子は、持ち歌やカバーで声色で録音した曲があるでしょうか。

声色で録音していることが最も分かりやすいのが1974年9月のアルバム「圭子のにっぽんひとりあるき」です。このアルバムには次の曲が含まれています。

A:妻籠の宿/東京カーニバル/みちのくの花嫁/釜ヶ崎人生/真っ赤なカラス/マリモものがたり
B:お遍路お札巡り/博多の子守唄/沖縄の四季/古都/東海武将伝/涙の越前海岸

このうち、赤色の曲で藤圭子は声色で歌っています。例えば「真っ赤なカラス」の声色はこんな感じです。


藤圭子 真っ赤なカラス

藤圭子の本来の地声からおよそかけ離れた声色です。「圭子のにっぽんひとりあるき」は実験的なアルバムで、藤圭子のそれまでにない側面に焦点を当てたアルバムです。

声色での曲はフォークタッチだったり、アップテンポだったり、明るかったりする曲が多いです。地声のままで歌っている曲は演歌調で男女の悲恋だったり、フォークっぽくても悲しみが基調となっている曲で、要するに暗い曲です。この選択には藤圭子本来の地声に暗い響きがあることが理由なのでしょう。明るい曲は藤圭子の地声とは合わないので声色で歌ったものと思われます。釜ヶ崎人生は演歌調でかなり暗い曲ですが、藤圭子はより凄みを出すためでしょう。別の理由で声色で歌っています。

このアルバムでの藤圭子の声色の選択から明らかなように、藤圭子本来の地声は暗い曲に向いているのであり、明るい曲には向いていません。藤圭子は何でも歌えると言われることがありますが、そうとは言いがたいです。明るい曲でもそのままの地声で歌うと暗い歌に聴こえます。そのいい例が1970年10月の渋谷公会堂ライブでの「銀座カンカン娘」の歌唱です。

1971年12月のアルバム「知らない町で」も声色で歌っている曲があります。

A:知らない町で/愛の浮雲/山里の子守唄/街の子/十九のつぼみ/圭子の網走番外地
B:四月の花まつり/京都から博多まで/女の冬/恋のドライブ/恋の港町/昭和仁義

特に「恋のドライブ」は藤圭子以外の別人が歌っているように聴こえます。「圭子の網走番外地」は「釜ヶ崎人生」と同じく、より凄みを出すためでしょう、喉から絞り出すような声色です。

このほかのアルバムでも1曲丸ごと声色で歌っている曲が少なからぬ数はあると思われます。曲の一部で声色に変える歌手は多いと思いますが、これほど多くの曲で1曲丸ごと声色で歌ったのは藤圭子ぐらいかもしれません。