藤圭子の暗黒エネルギー

このブログの最終的な目的は、藤圭子がなぜあのような悲劇的な最後を遂げなければならなかったのか。その理由を解明することです。

「京都から博多まで」の歌唱

 

先日、ある歌手がアルバムでカバーしている「京都から博多まで」を聴いたのですが、その歌唱であれッと思うところがありました。

藤圭子の歌唱の

♪きょーとかーらー はーかたまーでー の部分で、ここをその歌手は
♪きょーとかーらー はかーたまーでー と歌っているのです。

聴いていて違和感がありました。

その歌手は、あさみちゆきといい、2001年から井の頭公園でラジカセとマイクで、藤圭子ちあきなおみ、西田佐知子などの歌謡曲を歌っていたところをスカウトされたという変わり種です。彼女は「ちゆきの夢は夜ひらく」もシングルとしてリリースしています。

そこでほかの歌手がカバーしている「京都から博多まで」をYouTubeで聴いてみたのですが、どれも歌唱は藤圭子と同じです。ただし、八代亜紀だけは藤圭子あさみちゆきの中間くらいと微妙でした。あさみちゆきもステージでの歌唱では八代亜紀と同じでした。

これはもしかしてと思い楽譜を入手して見ました。案の定、楽譜はあさみちゆきの歌唱の通りとなっています。

藤圭子は楽譜の指定を無視して歌っていたのです。

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♪はーかたまーでー と歌うと、演歌的で荒っぽい、スケールの大きい印象を受けます。♪はかーたまーでー と歌うと、少し上品で歌謡曲的な感じになります。

この部分のほかにも

♪かねーがなーるなーる を
♪かーねがなーるなる

と歌ったり

♪ばかーなおーんなーと を
♪ばーかなおーんなと

と歌っています。これ以外にも楽譜と異なる音の長さで歌っている箇所があります。

音の長さの変え方はいずれも、短・長・短 を 長・短・短 にしたり、長・短 を 短・短 に変えるパターンです。

作曲は猪俣公章ですが、藤圭子の歌唱に対して何も言わなかったのでしょうか。音程さえ合っていれば、音の長短をどうするかは歌手の裁量に任されていたのかな。いやいやそれはないな。しかし、これほどあからさまに楽譜の音の長さを変えて歌うのは藤圭子ぐらいではないでしょうか。

藤圭子は自分のいいと思った歌い方で、歌にインパクトをつけたり、スケール感を出たりしたかったのでしょう。これは藤圭子の歌い方の特徴の一つというかテクニックの一つで、「圭子の夢は夜ひらく」では楽譜をほとんど無視して多用しています。こうしたテクニックが適用できる曲は、豪快さや凄みを出したい曲になります。

なお、動画の歌唱では上に書いた歌い方とは必ずしも一致していない箇所があります。藤圭子では特に顕著ですが、ステージによって音の長さの変え方が様々に変わっているからです。上の例の音の長さはアルバムでの歌唱です。