母の目を治すために歯を食いしばって仕事をした藤圭子

藤圭子の母・竹山澄子さんの目の病気は網膜色素変性症でした。この病気は見える視野が徐々に狭くなり、ひどく悪化した場合は視力がまったく失われる人もいます。病気の進行には個人差があり、若いうちから見えなくなる人もいれば、80代になっても視力を保っ…

藤圭子と照實氏はなぜ何度も離婚・再婚を繰り返したのか

藤圭子と照實氏は6、7回も再婚・離婚を繰り返したことは有名です。ソースによって6回だったり、7回だったりして、合計の回数が何回だったのかは絞れませんが、同じ相手と少なくとも6回も再婚・離婚を繰り返したのは極めて稀なケースと言えるでしょう。 常識…

単調さを避けて歌いまわしを変えた「女のブルース」の歌唱

「女のブルース」は、石坂まさを作詞の歌詞が4行詞の形式で、起・承・転・結の形になっています。作曲の猪俣公章は、起・承にあたる1フレーズ目と2フレーズ目でメロディを変えていますが、音の長さはどちらも 短・長の繰り返しで同じです。 1フレーズ目の楽…

なぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患ったのか

前回の記事 で、藤圭子は境界性パーソナリティ障害だったのではないかと書きました。ではなぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患うことになったのでしょう。今回はそれを取り上げることにします。 境界性パーソナリティ障害の原因 境界性パーソナリティ障…

藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根拠とは

藤圭子が境界性パーソナリティ障害、それも高機能型の境界性パーソナリティ障害を患っていたのではないかということは こちらの記事 で明らかにしました。今回は境界性パーソナリティ障害の診断基準、および藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根…

藤圭子の精神の病とはなにか

藤圭子が自殺した時、宇多田照實氏と宇多田ヒカルはコメントを発表し、藤圭子が以前から精神的に不安定だったと述べました。宇多田ヒカルは発表したコメントの中で次にように書いています。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化…

生まれる前から宇多田ヒカルを歌手に育てようと考えていた藤圭子

宇多田ヒカルが歌のレッスンを始めたのは4歳からと言われています。2013年8月23日の日刊スポーツに、1988年頃、ヒカルが5歳頃のときに杉並の自宅マンションに、ヒカルのレッスン用の鏡を取り付けたという業者の話が掲載されています。 ここまでの話であれば…

『宇多田光』名前の由来は『圭子の夢は夜ひらく』からか

宇多田ヒカルに『光』と名付けた理由については様々なメディアで言及されています。それらでは、藤圭子自身が遺伝性の目の疾患である網膜色素変性症の症状が出始めた時期に娘を生んでおり、生まれた娘が遺伝性の目の疾患にかかって光が失われることがないよ…

絶縁していた母・澄子さんと和解しようとした藤圭子

藤圭子は1990年に照實氏、ヒカルを連れて渡米した時点で、母親の竹山澄子さんと絶縁しています。大下英治著「悲しき歌姫」に、この頃に藤圭子と石坂まさを夫妻との間でかわされたやりとりが書かれています。川越プリンスホテルで「藤圭子ショー」をやるとい…

牧太郎 僕が封印した藤圭子さんの「母」と「川端康成」

牧太郎という人は1944年生まれで毎日新聞の専門編集委員を務めています。その牧太郎氏が毎日新聞の編集委員だった1996年に「高度成長と全共闘」の時代を「藤圭子の存在」を通じて描こうとして藤圭子に長時間のインタビューを行っています。 そのインタビュー…

”当確” のはずの紅白復帰ならず ダウンした藤圭子

藤圭子は紅白出場に異常ともいえるほどの執着をもっていたエピソードがあります。 「流星ひとつ」で、1973年の紅白に選ばれなかったとき、藤圭子が、NHKは藤圭子を必要としていないのだから来年のNHKに出るのはやめようとマネージャーに迫ったと話しています…

いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔

1970年8月発行の明星に掲載された記事 ”いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔” から抜粋して掲載します。 にくいほど手のかからん子じゃった 祖母 竹山ヨキさん とにかく小さいときからしっかりした子でしたのう。 純子(圭子の本名 阿部純子)の…

ヒカルのデビューを機に再起しようとしていた藤圭子

藤圭子が宇多田ヒカルのデビューに一所懸命だったことはよく知られていますが、ヒカルとともに自身も心機一転新しく歌手として再起したがっていたという点に関してはあまり知られていないようです。 藤圭子は、宇多田ヒカルがデビューする1998年暮れまでの間…

五味康祐から ”絶望的手相” と宣告された 藤圭子

手相などというものは非科学的でおよそ信用ならないというのが私の見解ですが、今回の記事は当時の藤圭子の、今後の男女関係を暗示しているような記事ですので、取り上げてみます。 週刊平凡 1975年7月10日号から抜粋して引用します。作家の五味康祐さんの手…

宇多田ヒカル『Letters』の歌詞 『君』や『あなた』は 母・藤圭子

宇多田ヒカルには母・藤圭子との関係をテーマにした曲が多くあることはよく知られています。2016年に発表したアルバム『Fantôme』は亡くなった母へ捧げたアルバムですから、藤圭子に関わりのある曲が多いのは当然ですし、シングル『Be My Last』では歌詞で「…

石坂まさをの 母 がテーマの「新宿の女」

藤圭子の代表曲のひとつである「新宿の女」は、特定の人物をイメージして書かれています。作詞した石坂まさをは、1999年刊の自著「きずな」で「新宿の女」を作詞した場面を次のように書いています。このとき、私の頭のなかには、はっきりと母・千恵の姿が浮…

ちっこくて、男の子みたいで、ポケットに手をつっこんでいる、可愛いやつ

「流星ひとつ」で沢木耕太郎から子供時代の頃を問われて藤圭子が話しています。 「一枚、とっても好きな写真があってね、ちっこくて、男の子みたいで、ポケットに手をつっこんでいる、可愛いやつ。それ、大好きだったんだけど、週刊誌だかテレビだかが持って…

メンタルケア心理士Ⓡ検定試験に合格しました

ブログの性格上、藤圭子の ”精神の病” も扱うこととなるので、心理学や精神医学についての知識も必要とされてきます。何の専門的知識もなしに藤圭子の自殺の理由を究明しようとするのは無謀といわざるを得ないです。 そうした専門的知識を得るために、心理療…

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由とは

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由は、一般には金銭問題だったと言われていますが、具体的な理由についてはあまり知られていないようです。大下英治著「悲しき歌姫」には、1989年頃に藤圭子が石坂まさを夫妻と交わした会話としてその理由の一端が示…

村田英雄の病室を見舞った藤圭子

1973年8月23日の週刊平凡に、入院中の村田英雄を藤圭子が見舞った様子が掲載されています。村田英雄は同年4月頃から糖尿病の悪化で入院していました。 村田英雄は、4歳のときから芸名を持って浪曲師の両親の巡業先で舞台に上がり浪曲を歌っていました。13歳…

宇多田ヒカルが 「母がこのことを知ったら殺されるかもしれません」 とツイートした理由とは

2010年10月13日のシネマトゥデイは、宇多田ヒカルがTwitterを始めたことを報じています。 同記事によれば、海外からのフォロワーからカラオケでの十八番を聞かれて次のようにツイートしています。なお、ツイートはすべて英語で行われています。 カラオケでよ…

藤圭子とカラオケを楽しんだ "キャッシー" は 37年前のヨーロッパ旅行も一緒

2013年10月9日に、スポニチアネックスは次の記事を配信しました。 藤圭子さんお別れ会 兄の藤三郎氏も出席 8月に他界した歌手の藤圭子さん(享年62)のお別れ会「さよならの唄―また逢う日まで―」が8日夜、都内のホテルで行われた。 関係者ら約50人が集…

ロック歌手に転向したカルメン・マキ と 米国でロックを歌うために英語を勉強した藤圭子

似ているようで違う、違っているようで似ている。カルメン・マキと藤圭子は、私にとってそんな関係です。 カルメン・マキは藤圭子がデビューする7ヶ月前、17歳のときに「時には母のない子のように」でデビューしています。寺山修司の秀悦な歌詞と、カルメン…

混乱を極める芸名 ”藤圭子” 名付けの由来

”藤圭子” という芸名を名付けた由来については、比較的よく知られていることと思います。名付け親たる石坂まさをは、1999年刊行の自著「きずな」で、次のように芸名の由来について説明しています。 私は『花菱エコーズ』を売り出すときに世話になった『日本…

藤圭子がヒカルデビュー後に歌手活動を「封印」した理由とは

藤圭子がなくなって以降、YouTubeにUpされた動画に ”もっと生きて歌ってほしかった” といった趣旨のコメントがしばしばありますが、そうコメントする人は当時の藤圭子の置かれた状況を理解できていないです。藤圭子は宇多田ヒカルがデビューして以降、1999年…

ジャズアレンジの「圭子の夢は夜ひらく」にみる八代亜紀との関わり

「圭子の夢は夜ひらく」の動画はYouTubeに数多くUpされていますが、その中に1990年代後期と思われる動画で、ジャズのアレンジで歌っている動画あります。その動画は3つあるのですが、1つはあまりパッとしない動画です。衣装が似合っていないし、ヘアスタイル…

復帰は人間としてないと宣言していたが  引退1年後には早くも復帰を決めていた藤圭子

藤圭子は1979年12月に一度引退して復帰したのは1981年7月ですが、その約半年前には復帰することが決まっていました。「二度と復帰することはないと思います。人間として」とまで言って引退したにしては、それをすぐにひっくり返す気の変わりようは、第三者か…

曽根幸明いわく ”トンビが鷹を産んだ” 藤圭子と宇多田ヒカルの関係

曽根幸明が著書「曽根幸明の昭和芸能放浪記」を出版したのは2007年7月です。曽根幸明はこのとき73歳。2002年に脳梗塞で半身不随となりますが、その後も作曲活動を続け、同書の出版時は日本歌謡芸術協会会長を務めています。2017年4月に83歳で亡くなっていま…

「ネリカン」の眠れぬ夜の ”妄想” から生まれた 曽根幸明の「夢は夜ひらく」

藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の作曲者として有名な曽根幸明は、1933年に東京・世田谷で生まれています。 以下は曽根幸明著「曽根幸明の昭和芸能放浪記」の記述を参考にしたものです。 父の宇野喜義は東京管弦楽団のバイオリニストであり、母のコマは近所…

架空の人物「水沢忍」を「藤圭子」で現実化した石坂まさを

五木寛之の小説に「涙の河をふり返れ」という短編があります。 この小説は1967年11月に発表されたものです。五木寛之は1967年4月の「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞し、社会的に注目されるようになっていました。 その五木寛之が発表した「涙の河をふり返…