歌手復帰後のエピソード

藤圭子に生きることを教えてくれた宇多田ヒカルの存在

藤圭子は1993年にU3名義でアルバム「STAR」をリリースしています。同アルバムは主に藤圭子に関するエピソードや思いを曲にしています。 アルバムタイトルになっている「STAR」という藤圭子 作詞、藤圭子・照實氏 作曲の曲の歌詞は次のようになっています。 …

40代で練習して上が1オクターブ、下が半オクターブ広がった藤圭子 『岸壁の母』を歌う

1997年5月発行の週刊読売で藤圭子が話しています。抜粋して引用します。 性格なんて変わる 本人を前にして 「どんな性格です?」 聞いてみた。 「そうねぇ・・・」 ちょっと困ったような顔をした。 「正直、自分の性格が分からない。変わってきているとは思…

藤圭子の精神の病の症状が現れている八代亜紀との動画

藤圭子の精神の病は境界性パーソナリティ障害ではないかということは既に書きました。藤圭子の場合は自傷行為や自殺企図が目立たない高機能型の境界性パーソナリティ障害だと思います。 境界性パーソナリティ障害の特徴的な症状のひとつに『理想化とこき下ろ…

ラジオの生放送を途中で放棄した藤圭子

1982年8月発行の週刊平凡から引用します。妊娠5ヶ月 藤圭子が身重の体で、夫・宇多田照實さんとなぜか、ニューヨークへ いまや、所属プロの社長・藤原成郷さんとの莫大な金銭をめぐる裁判闘争でしか話題にならなくなっていた藤圭子。 しばらくマスコミから遠…

藤圭子と照實氏はなぜ何度も離婚・再婚を繰り返したのか

藤圭子と照實氏は6、7回も再婚・離婚を繰り返したことは有名です。ソースによって6回だったり、7回だったりして、合計の回数が何回だったのかは絞れませんが、同じ相手と少なくとも6回も再婚・離婚を繰り返したのは極めて稀なケースと言えるでしょう。 常識…

藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根拠とは

藤圭子が境界性パーソナリティ障害、それも高機能型の境界性パーソナリティ障害を患っていたのではないかということは こちらの記事 で明らかにしました。今回は境界性パーソナリティ障害の診断基準、および藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根…

藤圭子の精神の病とはなにか

藤圭子が自殺した時、宇多田照實氏と宇多田ヒカルはコメントを発表し、藤圭子が以前から精神的に不安定だったと述べました。宇多田ヒカルは発表したコメントの中で次にように書いています。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化…

生まれる前から宇多田ヒカルを歌手に育てようと考えていた藤圭子

宇多田ヒカルが歌のレッスンを始めたのは4歳からと言われています。2013年8月23日の日刊スポーツに、1988年頃、ヒカルが5歳頃のときに杉並の自宅マンションに、ヒカルのレッスン用の鏡を取り付けたという業者の話が掲載されています。 ここまでの話であれば…

『宇多田光』名前の由来は『圭子の夢は夜ひらく』からか

宇多田ヒカルに『光』と名付けた理由については様々なメディアで言及されています。それらでは、藤圭子自身が遺伝性の目の疾患である網膜色素変性症の症状が出始めた時期に娘を生んでおり、生まれた娘が遺伝性の目の疾患にかかって光が失われることがないよ…

ヒカルのデビューを機に再起しようとしていた藤圭子

藤圭子が宇多田ヒカルのデビューに一所懸命だったことはよく知られていますが、ヒカルとともに自身も心機一転新しく歌手として再起したがっていたという点に関してはあまり知られていないようです。 藤圭子は、宇多田ヒカルがデビューする1998年暮れまでの間…

宇多田ヒカル『Letters』の歌詞 『君』や『あなた』は 母・藤圭子

宇多田ヒカルには母・藤圭子との関係をテーマにした曲が多くあることはよく知られています。2016年に発表したアルバム『Fantôme』は亡くなった母へ捧げたアルバムですから、藤圭子に関わりのある曲が多いのは当然ですし、シングル『Be My Last』では歌詞で「…

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由とは

藤圭子が母親の竹山澄子さんと絶縁した理由は、一般には金銭問題だったと言われていますが、具体的な理由についてはあまり知られていないようです。大下英治著「悲しき歌姫」には、1989年頃に藤圭子が石坂まさを夫妻と交わした会話としてその理由の一端が示…

ジャズアレンジの「圭子の夢は夜ひらく」にみる八代亜紀との関わり

「圭子の夢は夜ひらく」の動画はYouTubeに数多くUpされていますが、その中に1990年代後期と思われる動画で、ジャズのアレンジで歌っている動画あります。その動画は3つあるのですが、1つはあまりパッとしない動画です。衣装が似合っていないし、ヘアスタイル…

復帰は人間としてないと宣言していたが  引退1年後には早くも復帰を決めていた藤圭子

藤圭子は1979年12月に一度引退して復帰したのは1981年7月ですが、その約半年前には復帰することが決まっていました。「二度と復帰することはないと思います。人間として」とまで言って引退したにしては、それをすぐにひっくり返す気の変わりようは、第三者か…

切っても切れない藤圭子と暴力団とのつながり

写真の藤圭子が右手にかざしている1万円札5枚は、1980年代半ばから極悪ヤミ金業者として社会的批判を浴びていた日本百貨通信販売の杉浦治夫社長からの "おひねり" です。隣の男性は広域指定暴力団・極東会の松山眞一会長です。 時期は宇多田ヒカルがデビュー…

引退後1年半余りでの早期の歌手復帰へのバッシング

この動画なんですが、藤圭子が歌手に復帰した1981年の動画です。 オマケ 泣くぞ・・・★ 最初見たとき、なんで泣いてんのかなぁ、と不思議だったのですが、動画のコメントを読むと、復帰後最初のステージ(NHK)だったようですね。 復帰にあたっては相当バッ…