ヒカルデビュー後のエピソード
2000年から藤圭子番となったスポニチの阿部公輔氏が2006年頃の藤圭子について話しています。2013年10月4日のアサ芸プラスから引用します。一方、圭子はデビュー当時のキャッチフレーズだった〈怨念〉を、何度となく言葉にしている。「この世で一番、憎んでい…
週刊現代 2013年9月7日号から抜粋して引用します。本誌はごく最近まで彼女と付き合いがあったという人物に話を聞いた。それは衝撃的な内容だった。 「実は彼女は一時、千葉県の療養施設に入っていました。お酒も相当飲んでいましたし、アメリカで暮らしてい…
スポニチの初代圭子番記者である小西良太郎氏は、その著書『女達の流行歌(はやりうた)』で藤圭子を取り上げています。抜粋して引用します。「宇多田ヒカルショック、母藤圭子離婚決断!」 スポーツニッポン新聞がそんな大見出しを打ったのは、この年(2000…
藤圭子は2002年にヒカルと別居状態となります。この記事では藤圭子がヒカルと別居することになった経緯を取り上げます。 ヒカルとの別居に至った原因 デビューしたヒカルの事務所の副社長だった藤圭子には年間1億円超のお金が入るようになりました。しばらく…
藤圭子は2006年3月6日にケネディ国際空港で約42万ドル、日本円にしておよそ5000万円(当時)の現金を押収されています。そのことがメディアで流され、藤圭子の桁外れの金銭感覚が世間の知るところとなりました。 賭けマージャンに熱中した歌手時代 藤圭子は…
藤圭子は1990年に照實氏、ヒカルを連れて渡米した時点で、母親の竹山澄子さんと絶縁しています。大下英治著「悲しき歌姫」に、この頃に藤圭子と石坂まさを夫妻との間でかわされたやりとりが書かれています。川越プリンスホテルで「藤圭子ショー」をやるとい…
藤圭子が宇多田ヒカルのデビューに一所懸命だったことはよく知られていますが、ヒカルとともに自身も心機一転新しく歌手として再起したがっていたという点に関してはあまり知られていないようです。 藤圭子は、宇多田ヒカルがデビューする1998年暮れまでの間…
宇多田ヒカルには母・藤圭子との関係をテーマにした曲が多くあることはよく知られています。2016年に発表したアルバム『Fantôme』は亡くなった母へ捧げたアルバムですから、藤圭子に関わりのある曲が多いのは当然ですし、シングル『Be My Last』では歌詞で「…
2010年10月13日のシネマトゥデイは、宇多田ヒカルがTwitterを始めたことを報じています。 同記事によれば、海外からのフォロワーからカラオケでの十八番を聞かれて次のようにツイートしています。なお、ツイートはすべて英語で行われています。 カラオケでよ…
2013年10月9日に、スポニチアネックスは次の記事を配信しました。 藤圭子さんお別れ会 兄の藤三郎氏も出席 8月に他界した歌手の藤圭子さん(享年62)のお別れ会「さよならの唄―また逢う日まで―」が8日夜、都内のホテルで行われた。 関係者ら約50人が集…
藤圭子がなくなって以降、YouTubeにUpされた動画に ”もっと生きて歌ってほしかった” といった趣旨のコメントがしばしばありますが、そうコメントする人は当時の藤圭子の置かれた状況を理解できていないです。藤圭子は宇多田ヒカルがデビューして以降、1999年…
曽根幸明が著書「曽根幸明の昭和芸能放浪記」を出版したのは2007年7月です。曽根幸明はこのとき73歳。2002年に脳梗塞で半身不随となりますが、その後も作曲活動を続け、同書の出版時は日本歌謡芸術協会会長を務めています。2017年4月に83歳で亡くなっていま…
10月10日も終わりに近づいています。四十九日の供養、上手く出来たか自信はありませんが、僕の知識の範囲内で出来る限りやったつもりです。みんなからも沢山のお悔みの言葉を受け取り、感無量です。ありがとう。teruzane pic.twitter.com/SriaV5z6Mr — u…