デビュー前のエピソード

食うや食わずの藤圭子が林家三平とすごした意外な過去

石坂まさをは作詞家時代の初期に初代林家三平の曲を作詞したことがあり、その縁でデビュー前の藤圭子は林家三平の家へたびたび通うようになります。1970年7月発行の週間明星がそのことを取り上げていますので抜粋して引用します。おととしの春、藤圭子を発掘…

石坂まさをと藤圭子の奇妙な師弟関係

藤圭子は1968年の秋頃に石坂まさをと知り合い、住み込みでレッスンを受けるようになります。「流星ひとつ」で藤圭子は初めて石坂まさをと出会ったときの印象を、自分に似ていると話しています。石坂まさをの、世の中の辛酸をなめ尽くしたその雰囲気が自分と…

流し時代の藤圭子に声をかけて知り合い、衣装担当となり相談相手ともなった女性

デビュー前後の一時期、藤圭子の相談相手になっていた女性がいます。藤圭子がデビューしてから彼女は衣装作りの担当となり、デビュー1年目近くになると作った衣装は20着にもなったといいます。 1970年7月発行の週刊平凡から抜粋して引用します。 11月の寒い…

いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔

1970年8月発行の明星に掲載された記事 ”いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔” から抜粋して掲載します。 にくいほど手のかからん子じゃった 祖母 竹山ヨキさん とにかく小さいときからしっかりした子でしたのう。 純子(圭子の本名 阿部純子)の…

石坂まさをの 母 がテーマの「新宿の女」

藤圭子の代表曲のひとつである「新宿の女」は、特定の人物をイメージして書かれています。作詞した石坂まさをは、1999年刊の自著「きずな」で「新宿の女」を作詞した場面を次のように書いています。このとき、私の頭のなかには、はっきりと母・千恵の姿が浮…

混乱を極める芸名 ”藤圭子” 名付けの由来

”藤圭子” という芸名を名付けた由来については、比較的よく知られていることと思います。名付け親たる石坂まさをは、1999年刊行の自著「きずな」で、次のように芸名の由来について説明しています。 私は『花菱エコーズ』を売り出すときに世話になった『日本…

架空の人物「水沢忍」を「藤圭子」で現実化した石坂まさを

五木寛之の小説に「涙の河をふり返れ」という短編があります。 この小説は1967年11月に発表されたものです。五木寛之は1967年4月の「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞し、社会的に注目されるようになっていました。 その五木寛之が発表した「涙の河をふり返…

本当は目が見えていた 藤圭子の母

藤圭子の母・竹山澄子さんの目が悪いことについて「悲しき歌姫」では次のような記述がなされています。 母・澄子の目が悪いのは生まれつきではなく、戦時中に軍需工場で交換手として働いていたとき目を痛めたせいである。のち純子が小学校の三年生になったこ…

藤圭子のキングレコードからのデビューを撤回させた石坂まさを

藤圭子が鳳企画と契約した時期 渡邉正次郎の半生記「芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き」によれば、藤圭子が鳳企画と契約し、キングレコードからデビューさせることが決まった時期については記述がありません。 ですが、渡邉正次郎が初めて藤圭…

「霊的直感」から歌を聴かずに藤圭子の歌手としての才能を見抜いた渡邉正次郎

藤圭子と渡邉正次郎との関わりを理解する上で、渡邉正次郎とはどういう人物であるかを理解しておく必要があります。 渡邉正次郎の著書で半生記である「芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き」によれば、渡邉正次郎は現オリジナルコンフィデンスの前…

藤圭子を初めてレコード会社に契約させたのは渡邉正次郎であって石坂まさをではない

藤圭子は亀戸、錦糸町界隈の夜の街で "流し" の歌手をしていた1968年頃、オリコンの前身「芸能市場調査」編集長の渡邉正次郎氏と出会い、芸能界に足を踏み入れる。だが、藤圭子が「新宿の女」(1969年)でデビューするまでには紆余曲折があった。 独特の感性…