藤圭子に生きることを教えてくれた宇多田ヒカルの存在

藤圭子は1993年にU3名義でアルバム「STAR」をリリースしています。同アルバムは主に藤圭子に関するエピソードや思いを曲にしています。 アルバムタイトルになっている「STAR」という藤圭子 作詞、藤圭子・照實氏 作曲の曲の歌詞は次のようになっています。 …

足を引きずるようにしてスタジオに向かった藤圭子

藤圭子がデビューして人気が沸騰した頃の藤圭子のステージ出演前の様子を1970年6月発行のサンデー毎日が報道しています。抜粋して引用します。 NETテレビ局の化粧室ーーもちろん個室ではないーーロッカーが林立し、鏡台がせり合うようにあるその前で、藤圭子…

藤圭子は「紅とんぼ」をどう歌ったか

ちあきなおみは1992年を最後に活動を休止しています。その4年前に発表したのが「紅とんぼ」です。この曲はNHKの歌謡パレード’88のオリジナルソングとして毎週放送され、好評を受けてシングル化されました。作詞は吉田旺、作曲は船村徹です。この曲はオリコン…

浪曲師の父母との巡業の日々

幼少の頃の藤圭子について、1970年11月25日発行の女性セブンから抜粋して引用します。♪ やるぞみておれ 口には出さず 宙をにらみつけるようにして、純子はうたいつづけた。村祭りの神社の境内には、娯楽に飢えている近在のひとたちが集まり、満員だったが、…

流し時代の藤圭子に声をかけて知り合い、衣装担当となり相談相手ともなった女性

デビュー前後の一時期、藤圭子の相談相手になっていた女性がいます。藤圭子がデビューしてから彼女は衣装作りの担当となり、デビュー1年目近くになると作った衣装は20着にもなったといいます。 1970年7月発行の週刊平凡から抜粋して引用します。 11月の寒い…

ニューヨークで沢木耕太郎を待っていた藤圭子

アサヒ芸能 2013年10月31日号から抜粋して引用します。話している内容の時期は1980年の秋頃と思われます。 「私が『なぜ、ニューヨークに来たの?』と彼女に尋ねると、『実は、沢木耕太郎を待っています』と、答えたんです」本誌の直撃取材に、こう当時を振…

何がこわいといって、子供を生むぐらいこわいことないんです 藤圭子

1971年9月発行の週刊平凡で、藤圭子が木元教子のインタビューに答えています。藤圭子は同年8月2日に前川清と長崎県佐世保市で挙式を挙げたばかりです。記事のタイトルは『赤ちゃん生むのがこわいんです』。子供のことについて話した部分を引用します。 木元 …

40代で練習して上が1オクターブ、下が半オクターブ広がった藤圭子 『岸壁の母』を歌う

1997年5月発行の週刊読売で藤圭子が話しています。抜粋して引用します。 性格なんて変わる 本人を前にして 「どんな性格です?」 聞いてみた。 「そうねぇ・・・」 ちょっと困ったような顔をした。 「正直、自分の性格が分からない。変わってきているとは思…

石坂まさを「圭子の夢は夜ひらく」作詞のエピゾード

DVD「田原総一朗の遺言 ~藤圭子/ベ平連~」で、石坂まさをが「圭子の夢は夜ひらく」を作詞した時のエピゾードを、電話で田原総一朗に話しています。2011年末と思われる収録ですので、石坂まさをの体調はあまりよくないように聞こえます。「その時、僕、熱…

藤圭子の『不幸』を演出した石坂まさをの誤算

藤圭子のデビューにあたり、石坂まさをはデビュー戦略を練りますが、その際に参考にしたのが、1967年に五木寛之が発表した小説『涙の河を振り返れ』です。このことについては こちらの記事 に書いています。藤圭子の売り出しにあたって、ことさらに藤圭子が…

藤圭子の精神の病の症状が現れている八代亜紀との動画

藤圭子の精神の病は境界性パーソナリティ障害ではないかということは既に書きました。藤圭子の場合は自傷行為や自殺企図が目立たない高機能型の境界性パーソナリティ障害だと思います。 境界性パーソナリティ障害の特徴的な症状のひとつに『理想化とこき下ろ…

ラジオの生放送を途中で放棄した藤圭子

1982年8月発行の週刊平凡から引用します。妊娠5ヶ月 藤圭子が身重の体で、夫・宇多田照實さんとなぜか、ニューヨークへ いまや、所属プロの社長・藤原成郷さんとの莫大な金銭をめぐる裁判闘争でしか話題にならなくなっていた藤圭子。 しばらくマスコミから遠…

母の目を治すために歯を食いしばって仕事をした藤圭子

藤圭子の母・竹山澄子さんの目の病気は網膜色素変性症でした。この病気は見える視野が徐々に狭くなり、ひどく悪化した場合は視力がまったく失われる人もいます。病気の進行には個人差があり、若いうちから見えなくなる人もいれば、80代になっても視力を保っ…

藤圭子と照實氏はなぜ何度も離婚・再婚を繰り返したのか

藤圭子と照實氏は6、7回も再婚・離婚を繰り返したことは有名です。ソースによって6回だったり、7回だったりして、合計の回数が何回だったのかは絞れませんが、同じ相手と少なくとも6回も再婚・離婚を繰り返したのは極めて稀なケースと言えるでしょう。 常識…

単調さを避けて歌いまわしを変えた「女のブルース」の歌唱

「女のブルース」は、石坂まさを作詞の歌詞が4行詞の形式で、起・承・転・結の形になっています。作曲の猪俣公章は、起・承にあたる1フレーズ目と2フレーズ目でメロディを変えていますが、音の長さはどちらも 短・長の繰り返しで同じです。 1フレーズ目の楽…

なぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患ったのか

前回の記事 で、藤圭子は境界性パーソナリティ障害だったのではないかと書きました。ではなぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患うことになったのでしょう。今回はそれを取り上げることにします。 境界性パーソナリティ障害の原因 境界性パーソナリティ障…

藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根拠とは

藤圭子が境界性パーソナリティ障害、それも高機能型の境界性パーソナリティ障害を患っていたのではないかということは こちらの記事 で明らかにしました。今回は境界性パーソナリティ障害の診断基準、および藤圭子が境界性パーソナリティ障害を患っていた根…

藤圭子の精神の病とはなにか

藤圭子が自殺した時、宇多田照實氏と宇多田ヒカルはコメントを発表し、藤圭子が以前から精神的に不安定だったと述べました。宇多田ヒカルは発表したコメントの中で次にように書いています。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化…

生まれる前から宇多田ヒカルを歌手に育てようと考えていた藤圭子

宇多田ヒカルが歌のレッスンを始めたのは4歳からと言われています。2013年8月23日の日刊スポーツに、1988年頃、ヒカルが5歳頃のときに杉並の自宅マンションに、ヒカルのレッスン用の鏡を取り付けたという業者の話が掲載されています。 ここまでの話であれば…

『宇多田光』名前の由来は『圭子の夢は夜ひらく』からか

宇多田ヒカルに『光』と名付けた理由については様々なメディアで言及されています。それらでは、藤圭子自身が遺伝性の目の疾患である網膜色素変性症の症状が出始めた時期に娘を生んでおり、生まれた娘が遺伝性の目の疾患にかかって光が失われることがないよ…

絶縁していた母・澄子さんと和解しようとした藤圭子

藤圭子は1990年に照實氏、ヒカルを連れて渡米した時点で、母親の竹山澄子さんと絶縁しています。大下英治著「悲しき歌姫」に、この頃に藤圭子と石坂まさを夫妻との間でかわされたやりとりが書かれています。川越プリンスホテルで「藤圭子ショー」をやるとい…

牧太郎 僕が封印した藤圭子さんの「母」と「川端康成」

牧太郎という人は1944年生まれで毎日新聞の専門編集委員を務めています。その牧太郎氏が毎日新聞の編集委員だった1996年に「高度成長と全共闘」の時代を「藤圭子の存在」を通じて描こうとして藤圭子に長時間のインタビューを行っています。 そのインタビュー…

”当確” のはずの紅白復帰ならず ダウンした藤圭子

藤圭子は紅白出場に異常ともいえるほどの執着をもっていたエピソードがあります。 「流星ひとつ」で、1973年の紅白に選ばれなかったとき、藤圭子が、NHKは藤圭子を必要としていないのだから来年のNHKに出るのはやめようとマネージャーに迫ったと話しています…

いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔

1970年8月発行の明星に掲載された記事 ”いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔” から抜粋して掲載します。 にくいほど手のかからん子じゃった 祖母 竹山ヨキさん とにかく小さいときからしっかりした子でしたのう。 純子(圭子の本名 阿部純子)の…

ヒカルのデビューを機に再起しようとしていた藤圭子

藤圭子が宇多田ヒカルのデビューに一所懸命だったことはよく知られていますが、ヒカルとともに自身も心機一転新しく歌手として再起したがっていたという点に関してはあまり知られていないようです。 藤圭子は、宇多田ヒカルがデビューする1998年暮れまでの間…

五味康祐から ”絶望的手相” と宣告された 藤圭子

手相などというものは非科学的でおよそ信用ならないというのが私の見解ですが、今回の記事は当時の藤圭子の、今後の男女関係を暗示しているような記事ですので、取り上げてみます。 週刊平凡 1975年7月10日号から抜粋して引用します。作家の五味康祐さんの手…

宇多田ヒカル『Letters』の歌詞 『君』や『あなた』は 母・藤圭子

宇多田ヒカルには母・藤圭子との関係をテーマにした曲が多くあることはよく知られています。2016年に発表したアルバム『Fantôme』は亡くなった母へ捧げたアルバムですから、藤圭子に関わりのある曲が多いのは当然ですし、シングル『Be My Last』では歌詞で「…

石坂まさをの 母 がテーマの「新宿の女」

藤圭子の代表曲のひとつである「新宿の女」は、特定の人物をイメージして書かれています。作詞した石坂まさをは、1999年刊の自著「きずな」で「新宿の女」を作詞した場面を次のように書いています。このとき、私の頭のなかには、はっきりと母・千恵の姿が浮…

ちっこくて、男の子みたいで、ポケットに手をつっこんでいる、可愛いやつ

「流星ひとつ」で沢木耕太郎から子供時代の頃を問われて藤圭子が話しています。 「一枚、とっても好きな写真があってね、ちっこくて、男の子みたいで、ポケットに手をつっこんでいる、可愛いやつ。それ、大好きだったんだけど、週刊誌だかテレビだかが持って…

メンタルケア心理士Ⓡ検定試験に合格しました

ブログの性格上、藤圭子の ”精神の病” も扱うこととなるので、心理学や精神医学についての知識も必要とされてきます。何の専門的知識もなしに藤圭子の自殺の理由を究明しようとするのは無謀といわざるを得ないです。 そうした専門的知識を得るために、心理療…