母の目を治すために歯を食いしばって仕事をした藤圭子

藤圭子の母・竹山澄子さんの目の病気は網膜色素変性症でした。この病気は見える視野が徐々に狭くなり、ひどく悪化した場合は視力がまったく失われる人もいます。病気の進行には個人差があり、若いうちから見えなくなる人もいれば、80代になっても視力を保っている人もいます。

1970年6月発行の週刊明星によれば、竹山澄子さんは1960年に札幌の北大附属病院で診察を受けており、そのときはまだ視力があって、物の形と色だけはおぼろげながらに見えたといいます。その際に、失われた視力をもとに戻すことはできないが、視力減退をこれ以上進行させないための手術ならできるということでした。

そのための手術代が50万円。現在価値に換算して約400万円が必要となり、あきらめざるを得なかったといいます。そのとき、藤圭子は8、9歳でした。

同誌によれば、いまでは印税もぽつぽつ入るようになってきたので、借金してでも母に手術を受けさせたいと話しています。しかし、1970年5月25日に竹山澄子さんが慶応病院の眼科で診察を受けたところ、「こうならないうちなら進行を止める方法はあったのだが、もとの視力を取り戻す手段は今のところない」との診断でした。

それでも藤圭子は母の目を治す費用を捻出するために、仕事を続けようとします。同誌から引用します。

もともと貧血症で疲れやすい体質なのだが、このところ目の回るような忙しさで、疲労がノドにきた。ポリープという一種の職業病で、手術の必要もある。

プロダクションは大事に至らないうちに何とかスケジュールをやりくりして入院させ、疲労から回復したところで手術を受けさせたいと、やっきになっている。ところがどうしても本人がきかないのだ。

ステージの仕事は油汗をながしながらでもつとめあげる。せめてテレビの仕事だけでもノドをいたわらせてやりたいとおもって、テープで代用させる。そうすると彼女は、「私は歌い手なのにナマの歌をうたわせてもらえないの」と、楽屋にもどってくやし泣きに泣くのだ。

根性もけっこうだが、いいかげんにしないと命取りになりかねないと、関係者はハラハラしている。

「そんなことで、私は気の強い女のように思われているようですけど、本当にちがうんです」

と、藤圭子はいう。

「ものすごく気が弱くて、人とお話しすることさえ苦痛で、すぐ自分のカラにとじこもってしまうのね。そのくせ、ごくささいなことでも、人に何か言われることが気になって仕方がないんです。芸能界はいやだ、いやだと、しょっちゅう思っているわ。でも、そういうとき、お母さんの目のことがすぐ頭に浮かんできて、もしお金をためることによってお母さんの目がなおせるものなら、私がここでがんばらなくちゃいけないーーそう思いながら、歯を食いしばって仕事をしているんです。ほんとにお母さんの苦労を考えれば、私なんか、歌い手としてこれだけ仕事をやらせてもらえることだけでも本望だわ。ですから、何とかここで仕事を休まずに乗り切りたいんです」

当時人気絶頂にあった藤圭子は超過密なスケジュールでの仕事を余儀なくされました。移動時間がなく、ヘリコプターで会場を移動したことも1度だけではありません。各公演のスケジュールは最終的には石坂まさをが決めていたと思われますが、藤圭子にとっては相当過酷なものだったようです。

藤圭子と照實氏はなぜ何度も離婚・再婚を繰り返したのか

藤圭子と照實氏は6、7回も再婚・離婚を繰り返したことは有名です。ソースによって6回だったり、7回だったりして、合計の回数が何回だったのかは絞れませんが、同じ相手と少なくとも6回も再婚・離婚を繰り返したのは極めて稀なケースと言えるでしょう。

常識的に考えて離婚の決断をするにはよほど重大な問題があるはずです。中でも性格の不一致のように、長年の間で積り重なった細かな不満が原因で離婚に至った場合は、まず復縁することはないでしょう。

そうではなく、不倫などの特定の原因がある場合、それによって離婚に至っても、一時の感情が収まって冷静になり、よりを戻すことはあるでしょう。特に子供がいる場合は、子供の今後を考えて再婚するというケースはありそうです。

1999年7月8日号 週刊宝石によれば、藤圭子と照實氏は、1982年6月に結婚してから1999年までの間に3回離婚・再婚をしています。

 1986年10月 1回目の離婚。17日後には「ヒカルの幸せのために」と再婚。
 1989年  4月 2回目の離婚。14日後には再婚。
 1992年  1月 3回目の離婚。同年8月には再婚。

同誌から抜粋して引用します。

1回目の離婚・再婚は、度重なる夫婦喧嘩のあげく、カッとなった照實氏が離婚の書類を取ってきて、2人で署名・捺印し、離婚届を提出してしまったのだといわれている。
 (中略)
離婚のたった17日後には、「これからも家庭生活は続けていきます」と、あらためて婚姻届を提出。スピード復縁となったのである。
「ちょっとした意見の食い違いから、つまらないことからいさかいをして…。でも、そのあと冷静になって2人で話し合ったんです。離婚しても2人に何も生まれないし、夫婦は子供を幸せにしなければならない親の責任がある。子供がかわいいのは2人とも同じ。バカなことをしてしまったとわかった。コロコロ変わるといわれても、 ”後悔したくない” 僕たちなりの結論です」
とは照實氏の当時の反省のコメントである。一方の藤圭子も、
「離婚届を出したのはそれなりの理由があったからですが、気持ちが静まってみると、子供を不幸にさせてはいけないと気がつきました。再婚を決めるのが早かったのがせめてもの……」
 (中略)
1989年の4月中旬に2度めの離婚。この時ヒカルは6歳。前回を上回ったのは、離婚から再婚までのスピードであった。再々婚が4月後半。わずか2週間あまりの離婚という珍記録である。
プロダクション関係者の説明。
「最初の離婚のときもそうでしたが、離婚中も実生活ではずっと同居を続けていたんですよ。同居していれば、激した感情も収まって、また一緒にやっていこうよと思うようで、すぐさま復縁する。まあ、本人同士が話して決めたことだし、誰にも迷惑はかけていないから、いいんでしょうがね」
6歳のヒカルは、両親が離婚届を提出した後も、
「パパとお母さん、別れちゃイヤだ!」
と訴えたというから、少なくともヒカルには迷惑がかかったことになる。

3度めの離婚では再婚までに7ヶ月ほどかかっています。この離婚は米国に滞在中でした。1992年7月に日本に戻ってきてから間もなく再婚したことになります。離婚届を出していたことを長い間忘れていて、思い出して婚姻届をだしたこともあったといいますから、そのケースなのかもしれません。

離婚は照實氏の不倫問題やヒカルのプロデュース方針など、特定の原因だとされています。特定の問題なので一時の激情が収まってみると、また再婚ということになるのでしょう。それにしても同一人との間で7回ほども再婚・離婚を繰り返すというのは尋常ではありません。これには藤圭子の精神の病が関係していると思われます。

藤圭子の精神の病は境界性パーソナリティ障害の可能性が高いのですが、この疾患の特徴の1つに衝動性の高さがあります。あることが原因で衝動的に離婚を決めてしまうといったことがあったのかもしれません。照實氏にとってみれば、藤圭子が衝動的に離婚を要求しても、一時の衝動だと分かっていて、再婚を見越して離婚に同意するといったことがありそうです。

照實氏はTwitterなどで自身の出自が「宇多田」姓で高貴な血筋であるとか、NASAのテストパイロットだったとか、ベトナム戦争に従軍したなどと、どこまで本当なのか分からない自慢話のようなことを公言しています。

こうした点を考慮すると、照實氏には自己愛性パーソナリティの傾向があるように感じられます。DSM-5での自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を次に示します。なお、照實氏は自己愛性パーソナリティ障害とは言えないことをお断りしておきます。

1. 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係すべきだ、と信じている。
4. 過剰な賛美を求める。
5. 特権階級(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)。
6. 対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

自己愛性パーソナリティ障害は以上のうち5つ以上を満たす場合が該当します。照實氏は、こういった傾向が一般の人よりも多少多いのではないかということです。

境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティとの組み合わせは、『ボーダーライン・カップル』と呼ばれ、比較的相性のよい組み合わせとされています。

照實氏にとって、藤圭子の夫ということは、大物演歌歌手の夫というアイデンティティが生まれ、自己愛を満足させます。宇多田ヒカルが大ブレークしてからは超大物歌手の父親でかつ音楽プロデューサーというアイデンティティが生まれ、より以上に自己愛を満足させることになります。

自己愛性パーソナリティの傾向がある照實氏が藤圭子の相手だったからこそ、藤圭子との間で7回ほどもの再婚・離婚を繰り返すことができたのでしょう。

単調さを避けて歌いまわしを変えた「女のブルース」の歌唱

「女のブルース」は、石坂まさを作詞の歌詞が4行詞の形式で、起・承・転・結の形になっています。作曲の猪俣公章は、起・承にあたる1フレーズ目と2フレーズ目でメロディを変えていますが、音の長さはどちらも 短・長の繰り返しで同じです。

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1フレーズ目の楽譜上の歌いまわし(節回し)は次のようになります。

 ♪ お んー な でー す もー の こー い おー す るー

これを藤圭子は次のように歌いまわしを変えて歌っています。

 ♪ お ん なー で す も のー こー い お す るー

楽譜通りの歌いまわしでは、リズミカルな感じで少し軽い歌謡曲っぽくなります。それに対して、藤圭子の歌いまわしではリズミカルな感じはまったくなくなり、重い感じ、思いつめた感じになります。

2フレーズ目の楽譜はメロディーは1フレーズ目とは異なっていますが、歌いまわし(節回し)は同じで変わりがありません。2フレーズ目の歌いまわしを次に示します。

 ♪ お んー な でー す もー の ゆー め にー よ うー

メロディーで音程が変わっているとはいえ、楽譜上の歌いまわしが変わっていませんから、楽譜通りに歌うと1フレーズ目と2フレーズ目では同じように聞こえ、単調に感じられる恐れがあります。

この2フレーズ目を藤圭子は次のように1フレーズ目とは異なる歌いまわしで歌っています。

 ♪ お ん なー で す も のー ゆ めー に よ うー

この独特の歌いまわしの使い分けは2番、3番、4番でも同じように行われています。


藤圭子 「女のブルース」

猪俣公章は藤圭子以前に森進一の作曲を行い、「女のためいき」や「港町ブルース」でヒットしています。森進一も藤圭子と同じく、楽譜とは異なる歌いまわしを得意とする歌手です。

猪俣公章は「女のブルース」で、1フレーズ目と2フレーズ目を同じ歌いまわしで作曲しましたが、藤圭子がうまい具合に歌いまわしを変えて歌うだろうと期待していたのかもしれません。

藤圭子独特の歌いまわし(節回し)は、猪俣公章が期待していた通りの出来だったのでしょう。

なぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患ったのか

前回の記事 で、藤圭子は境界性パーソナリティ障害だったのではないかと書きました。ではなぜ藤圭子は境界性パーソナリティ障害を患うことになったのでしょう。今回はそれについて書くことにします。

境界性パーソナリティ障害の原因

境界性パーソナリティ障害となる原因には、他のパーソナリティ障害と同じように遺伝要因と環境要因の双方があると考えられています。

境界性パーソナリティ障害の患者には両親のうちのどちらか、または両方が精神的に問題のあることが多い傾向があるとされています。遺伝要因を最も直接的に調べる方法には双生児研究があります。双生児には遺伝的に同一な一卵性と、遺伝的には通常の兄弟と同じ程度に異なっている二卵性があります。その違いをうまく利用するのです。

ある研究では、異なる環境で育った7組の一卵性双生児と、同じ環境で育った18組の二卵性双生児について、境界性パーソナリティ障害の発症の有無を調べたところ、境界性パーソナリティ障害が両方の子供に認められたケースは前者では1例もありませんでしたが、後者では2組あったといいます。この研究では、遺伝より環境のほうが重要であることを示しています。

環境要因としては、おもに幼少期にどのような養育環境に置かれていたかが焦点となります。多くの研究の結果、境界性パーソナリティ障害の患者が、人生の最早期に、子供に本来与えられるべき愛情と世話が適切に与えられなかったことが分かってきています。この時期に養育者(多くの場合は母親)から無条件に与えられる愛情が、確かな自我の基盤を形作ります。それが損なわれると、自我自体が極めてもろいものとなり、人とつながることも困難となります。

生後半年から1年半の間は乳児が母親に愛着を抱くようになる時期です。愛着とは英語で attachment といい、文字通りくっつくことをいいいます。何にくっつくかというと母親にくっつきます。この時期になると乳児は母親を識別し、守ってくれる特別な存在だと認識します。この時期の乳児と母親との情緒的なつながりに問題があると、後年になって青年期あるいは成人前期に境界性パーソナリティ障害を発症するリスクが高くなります。

藤圭子はなぜ境界性パーソナリティ障害を患ったのか

1970年8月発行の月刊明星に ”いちばん親しい22人が語る藤圭子のもうひとつの顔” という記事があり、母親の竹山澄子さんが藤圭子のことについて話していますので引用します。

 … それでいながらひどくあまったれでしてね。これを言うとあの子におこられるんですが、小学校6年ごろまで、私のオッパイを吸っていました。
 学校から帰ってくると、すうっと私の後ろにまわってきて、あまえ声を出しながら、私のフトコロヘ手をすべりこませるんです。

今どき、小学校6年ごろまでオッパイを吸っていましたなんて言ったらドン引きされます。当時でもそうでしょう。それをなんのてらいもなく話す母親にも驚かされます。このエピソードは、藤圭子が乳児期に母親からの愛情を満足に受けられなかったことを物語っているようです。

「流星ひとつ」で藤圭子が乳児の頃を話しています。

「とてもおとなしかったらしいの。楽屋でね、お母さんが舞台に立つ頃になって、袴をつけはじめると、あたしのお姉ちゃんは、すぐ大声で泣き出したんだって。あたしはね、楽屋にいる手の空いた女の人の方に這っていって、オブオブとかいって、おぶってもらおうとしたんだって、いつでも。ほんとに手がかからなかったって、お母さんが言うよ」

手がかからないといって喜んでいる場合ではありません。このエピソードは乳児の藤圭子が、母親の竹山澄子さんを他の人とは異なる特別な人だとは認識していないことを示しています。つまり愛着の形成がうまくできていないということです。

極貧状態だった名寄時代と面前DVにさらされた藤圭子

藤圭子は岩手県一関市に生まれると、父方の親戚を頼って一家はすぐに北海道名寄市に移っています。旭川市に移ったのは藤圭子が2、3歳の頃です。

この名寄時代が一番の極貧状態でした。婦人倶楽部1970年7月号が伝えています。

純子の誕生の頃が、一番生活が苦しかった、とも澄子さんはいう。
「昼は門付け、夜は流しの毎日でしたからね。オムツを変えてやる暇もろくにないんです。泊まるのも乞食と一緒の木賃宿ですから、オムツが洗えなくてね…ぬれたのをそのままかわかして使ったことも何度かありました」

父親の阿部壮氏は、浪曲だけでは食えずに紙芝居もやっていましたが、結局、名寄市では暮らしていくことができず、北海道第2の都市である旭川市に移ります。

名寄市から旭川市に移ったとき、最初の住所は旭川市にかかる忠別橋上流の河川敷に存在した "サムライ部落" と呼ばれた住宅群でした。そこは掘っ立て小屋が建ち並ぶような貧困地区で、藤圭子の一家には普通のアパートを借りる経済的余裕がなかったことが分かります。

極度の貧困では、子どもに愛情と余裕を持って満足な養育を行うことが困難となります。藤圭子の場合はその上に面前DVにさらされることにもなりました。面前DVというのは、子どもの面前で両親の間で暴力の行使が行われることです。面前DVは子どもが暴力を受けていなくても、子どもにとっては心理的な虐待に当たるとされています。

女性セブン1973年5月23日号で、竹山澄子さんが、阿部壮氏からメチャクチャに殴られて、1週間も舞台に立てないことがあったと述べています。

1970年8月発行の月刊明星で藤圭子の祖母の竹山ヨキさんが話しています。

 とにかく小さいときからしっかりした子でしたのう。
 純子(圭子の本名 阿部純子)の母が、よく夫婦ゲンカをして札幌の私のところへやってくることがあったけれど、そんなときいつもあの子がついて来たもんじゃった。
 母親がカッカしていても、涙ひとつこぼすわけじゃなく、自分の孫ながら頼もしいと思いましたわ。
 まあ、犬も食わない夫婦ゲンカのことじゃから、1日か2日もすれば旭川へ帰って行くんじゃが、純子は自分の帰りじたくはさっさとしてしまって、「おかあちゃん、忘れ物ない?」なんて、反対に母親の世話を焼いておったほどじゃ。ほんとににくらしいほど手間がかからない子じゃった。

しっかりした子だと感心していい場合ではありません。藤圭子が4、5歳頃でしょうか。両親が不仲なのは自分のせいだと幼い藤圭子が思ったとしても無理はありません。

藤圭子の家族は典型的な機能不全家族に該当します。母親から充分な愛情を受けることなく育った藤圭子は、マスメディアから "一卵性母娘" と呼ばれるほど、目の悪い母親を強迫的に世話するようになります。藤圭子は母親を熱心に世話しますが、本当は自分が母親から愛されたいことの裏返しの表現のように思えます。

 

藤圭子を苦しめた境界性パーソナリティ障害とは

藤圭子が境界性パーソナリティ障害、それも高機能型の境界性パーソナリティ障害を患っていたのではないかということは こちらの記事 で明らかにしました。今回は境界性パーソナリティ障害とは何かについて説明します。その前にパーソナリティ障害について説明することにします。

パーソナリティ障害とは、認知(物事の受け止め方)・行動特性に著しい偏りがあることをいいます。従来からその特性は、一般的な特性(平均値)からの違いが著しく、一般の人々との間に本質的な違いはないが、程度の差が特に大きいという性質のものだと理解されています。

パーソナリティ障害には精神疾患の診断基準であるDSM-5によれば10種類あります。境界性パーソナリティ障害はそのうちのひとつです。DSM-5での境界性パーソナリティ障害の簡略化された診断基準を次に示します。

 1. 見捨てられる体験を避けようとするなりふり構わぬ懸命の努力。
 2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動く不安定な対人関係。
 3. 同一性の障害(自己像や自己感覚の不安定さ)。
 4. 衝動性によって自己を傷つける可能性のある、浪費・薬物常用といった行動。
 5. 自殺の脅かし、自傷行為の繰り返し。
 6. 著明な感情的な不安定さ。
 7. 慢性的な空虚感、退屈。
 8. 不適切で激しい怒り。
 9. 一過性の妄想もしくは重症の解離症状。

これらの診断基準のうち、5つ以上が当てはまれば、境界性パーソナリティ障害の条件を満たすことになります。境界性パーソナリティ障害の有病率は米国のデータでは2%、精神科外来患者の11%、入院患者の19%が基準に該当するとされています。若い人に多く、男女比では1対3で女性が多くなっています。自殺完遂率は10%に達し、これは統合失調症の自殺率と同レベルです。ちなみに自殺が多いとされているうつ病の自殺率は3%にとどまります。

境界性パーソナリティ障害を扱った学術論文でも言及されていることですが、ほぼ例外なく患者が男性なら美男、女性なら美女という特徴があるといいます。境界性パーソナリティ障害は、親密な人間関係で問題が生じる疾患なので、異性を誘惑しやすい魅力的な顔貌を備えている人に特に発症しやすいのかもしれません。

パーソナリティ障害は性格の歪みではありません。パーソナリティ障害はあるきっかけで ”発症” するものです。境界性パーソナリティ障害の場合は、親密な関係にある人との間で症状が起きます。藤圭子と親密な関係にあった人たちが語ったことから境界性パーソナリティ障害の診断基準に当てはまりそうな言動を挙げてみます。

照實氏がはじめて藤圭子にあった時を、『出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした』と語っていますが、これは診断基準の 6 に該当する可能性があります。

同じく次のようにも照實氏は述べています。『この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました』。これは診断基準の 8 に該当します。これには2000年からスポニチの圭子番記者となった阿部公輔氏の次のエピソードも該当する可能性があります。2013年10月3日のアサ芸プラスから引用します。

「待ち合わせ場所にはこだわらず、マクドナルドとかバーガーキングでいいと言う。ただし、いつも『今すぐ来て!』でしたから。お店では早く座ってもらおうと席を探すと『何やってんの!』と店中に聞こえる声で怒鳴られる。これでは一緒に住んでいる身内は大変だろうなと思いました」

1988年に藤圭子は、絶縁していた父親から、母親がかつてギャラを着服していたと聞かされており、精神的に危機的状態となって強制入院させられています。同時にこの時期には、母親から毒を盛られるという妄想も生じています。これは診断基準の 9 に該当する可能性があります。詳しくは こちらの記事 を参照してください。

同じく宇多田ヒカルのコメントに『現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました』とあり、これも 9 に該当する可能性があります。

ヒカルが子供時代について語った言葉に次があります。『光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど』。これは診断基準の 2 に該当する可能性があります。藤圭子が『天使』と『悪魔』という言葉を使ったのは、藤圭子がカトリックを信仰をしていたためだと考えられます。詳しくは こちらの記事 を参照してください。また藤圭子が照實氏との間で7回に及ぶ結婚・離婚を繰り返したことは、同じく診断基準の 2 に該当する可能性があります。

藤圭子は、2002年頃から世界中のカジノで豪遊し、5年間に渡って5億円を使ったと述べています。これは診断基準の 4 に該当する可能性があります。

これらのエピソードを総合すると、DSM-5の9個の診断基準中5個が該当する可能性があり、境界性パーソナリティ障害に診断基準を満たします。ただし、これらのエピソードは同じ時期に関したものではありません。それに境界性パーソナリティ障害に特徴的とされる 診断基準の 1 に該当する見捨てられ不安に関するエピソードが見当たらないので断定することはできません。

とはいえ、照實氏が語った『感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね」と自分から反省する日々が長い間続きました』というエピソードは、境界性パーソナリティ障害に特徴的な言動です。こうした言動は統合失調症や双極性障害ではあり得ません。それらでは激昂が治っても自分から反省して謝罪することなどあり得ないからです。

そのうえで、藤圭子の場合、リストカットなどの自傷行為や大量服薬などの自殺企図が目立たない、家族など親密な関係の人との間でしか症状が起きず、仕事などにはほとんど影響がでなかったという特徴があります。

以上のことから、藤圭子の心の病に最も当てはまりそうな精神疾患は、自傷行為や自殺企図が目立たない高機能型の境界性パーソナリティ障害だと思われます。

照實氏によれば、藤圭子の感情の変化が激しくなり始めたのが1988年ということになりますが、その時、藤圭子は37歳頃です。境界性パーソナリティ障害の初発年齢としてはかなり遅い年齢です。実際には歌手を引退して沢木耕太郎と一緒に暮らす夢が裏切られた1980年、29歳頃まで最低でもさかのぼるのではないかと思います。詳しくは こちらの記事 を参照してください。その時から1988年まではあまり症状が目立たなかっただけのようです。